コロラド州コロラドスプリングス生まれ。本名はレオニダス・フランク・チェイニー(Leonidas Frank Chaney)。父親はイングランドおよびフランス系、母親はスコットランド、アイルランド、イングランドの血を引く。両親が聾唖者だった[1]ことから、幼くしてパントマイムを覚えたといわれる。1902年より演劇活動をはじめ、ヴォードヴィルの舞台で各地を回る。1905年に当時16歳の歌手Cleva Creightonと結婚し、翌年息子ロン・チェイニー・ジュニアが生まれる。1910年にはロサンゼルスに落ち着く。しかし夫婦生活のトラブルから1913年、チェイニーがマネージングする舞台が上演されていた劇場で妻が自殺を図る事件が起きる。妻は命は取り留めたが、その出来事がきっかけで舞台を離れて映画界入り。細かい時期は分かっていないが1912年より1917年位までユニバーサル・スタジオと契約し端役で映画に出演する。1915年には元コーラス・ガールのHazel Hastingsと再婚。メイクアップや扮装研究に没頭し、「千の顔を持つ男」の異名を取る個性派スターとなった。
^Kansas: A Cyclopedia of State History, Embracing Events, Institutions, Industries, Counties, Cities, Towns, Prominent Persons, etc. edited by Frank W. Blackmar c. 1912 pp.496–498