ロバート・マリガン(Robert Mulligan, 1925年8月23日 - 2008年12月20日)は、アメリカ合衆国のテレビディレクター、映画監督、映画プロデューサーである。
人物・来歴
ニューヨーク・ブロンクス区に生まれる。俳優のリチャード・マリガンは弟である。
同州のフォーダム大学に入学後、アメリカ海兵隊に勤務する。第二次世界大戦末期に除隊後、日刊紙ニューヨーク・タイムズの編集部に在籍するが、退社してテレビの道に進む。ラジオ・テレビ局CBSに入社し、メッセンジャー・ボーイから叩き上げる。1948年には、最初のテレビ映画に演出家として関わっている。1949年に放送開始した30分枠のテレビ映画シリーズ『サスペンス劇場』では、1950年から1954年の間に30本を演出した。1955年、テレビ局NBCで、60分枠のテレビ映画シリーズ『ザ・フィルコ・テレビジョン・プレイハウス』の3本を演出した。ウェスティングハウス・エレクトリック提供の60分枠のテレビ映画シリーズ『ウェスティングハウス・スタジオ・ワン』(1948年 - 1958年)では7本を演出した。
1957年、パラマウント映画製作・配給の『栄光の旅路』で映画監督としてデビュー、翌1958年の全米監督協会賞監督賞にノミネートされた。1959年、テレビ局NBCで、サマセット・モーム原作の小説『月と六ペンス』をテレビ映画化し、翌年のプライムタイム・エミー賞監督賞を獲得した。同作はローレンス・オリヴィエのアメリカのテレビ映画デビュー作となった。1960年に90分枠のテレビ映画シリーズ『プレイ・ハウス90』(1956年 - 1960年)の一篇『明日』を撮った後は、テレビ界から離れた。
1962年に監督した『アラバマ物語』は、1963年の第16回カンヌ国際映画祭のパルムドールにノミネートされてコンペティション上映され、ゲイリー・クーパー賞を受賞した。
2008年12月20日、コネチカット州ライムで心臓病のために死去した。満83歳没。
日本では、マリガンが監督した全映画作品が劇場公開あるいは放映等の形で紹介されている。
フィルモグラフィー
脚注
- ^ 池央耿が『翻訳万華鏡』(河出書房新社)の「記憶の本棚」「「ユースクェーク」でこの映画を翻訳した話を書いている。
関連項目