ザ・ロイヤル・カンガルーズ(The Royal Kangaroos)は、プロレスのタッグチームである。
イギリス出身のノーマン・フレデリック・チャールズ3世とオーストラリア出身のロード・ジョナサン・ボイドによって結成され、1970年代にアメリカ合衆国やカナダで活動した。
来歴
それぞれオーストラリア(ジム・バーネット主宰のワールド・チャンピオンシップ・レスリング)で活動していたノーマン・ロウンズとジョニー・ボイドが北米のマット界に進出後、太平洋岸北西部のNWA傘下団体パシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)において1971年に結成された[1]。
長髪に髭面というヒッピー風の外見でありながら、オーストラリアに移住した英国貴族というギミックのもと、それぞれ「ノーマン・フレデリック・チャールズ3世」および「ロード・ジョナサン・ボイド」と名乗り、ファビュラス・カンガルーズにあやかったヒールのタッグチームとして活動する[2]。
以降、1970年代全般はPNWを長年の主戦場として、クルト・フォン・スタイガー&カール・フォン・スタイガー、トニー・ボーン&ムーンドッグ・メイン、ダッチ・サベージ&ジミー・スヌーカ、ブル・ラモス&ジェシー・ベンチュラなどのチームを破り、同地区のタッグ部門におけるフラッグシップ・タイトルであるNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を再三獲得した[3]。
他地区では、1973年6月7日にノースカロライナ州グリーンズボロにて、ジョニー・ウィーバー&アート・ネルソンからNWAミッドアトランティック・ブラスナックルズ・タッグ王座を奪取[4]。1974年5月25日にはジョージア州の新興団体だったオールサウス・レスリング・アライアンスにおいて、レイ・キャンディ&エル
・モンゴルを下してASWAジョージア・タッグ王座を獲得した[5]。
1976年9月18日にはカリフォルニア州サンフランシスコにて、同地区認定の NWA世界タッグ王座をパット・パターソン&トニー・ガレアから奪取、12月4日にジミー&ジョニーのバリアント・ブラザーズに敗れるまで戴冠していた[6]。カナダではスチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリングにおいて、1977年4月6日にレオ・バーク&キース・ハートを破りインターナショナル・タッグ王座を獲得している[7]。
日本にもロイヤル・カンガルーズとして、1974年2月に新日本プロレスの『ビッグ・ファイト・シリーズ』に参戦。星野勘太郎&山本小鉄のヤマハ・ブラザーズやアントニオ猪木&柴田勝久などのチームと対戦し、新日本プロレスに初登場したアンドレ・ザ・ジャイアントとのトリオも組まれた[8]。1976年1月には全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』に再来日。ジャンボ鶴田&高千穂明久、ジャイアント馬場&ザ・デストロイヤー、極道コンビのグレート小鹿&大熊元司などと対戦した[9]。
1978年9月、バンクーバー地区での試合を最後にチームを解散[1]。チャールズはカルガリーのスタンピード・レスリングに転戦し、ボイドはPNWに残留して、それぞれシングルで活動した[10][11]。
獲得タイトル
- パシフィック・ノースウエスト・レスリング
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:5回[3]
- ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAミッドアトランティック・ブラスナックルズ・タッグ王座:1回[4]
- オールサウス・レスリング・アライアンス
- NWAサンフランシスコ
- スタンピード・レスリング
脚注
外部リンク