ルベン・ソサ・アルダイス(Ruben Sosa Ardaiz, 1966年4月25日 - )は、ウルグアイ・モンテビデオ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。「ゴールの詩人」の愛称で呼ばれた。
経歴
1982年に15歳でプロデビューを飾る。1985-86シーズンにスペインの レアル・サラゴサへ移籍、そのシーズン、リーグ4位、コパ・デル・レイ決勝のFCバルセロナ戦で決勝点を決め、チームに20年ぶりのタイトルをもたらした[1]。1987-88シーズンには18ゴールを挙げた[1]。
1988年にイタリアに渡りSSラツィオで4シーズンプレー。1990-91シーズンから2シーズン連続でリーグ戦2桁得点を記録すると、1992年にインテル・ミラノへ引き抜かれ移籍。1992-93シーズン、リーグ戦20得点を決めるなど、リーグ2位の好成績に貢献した[1]。1993-94シーズン、第10節のパルマ戦で3得点を決めるなど[2]、故人としてはリーグ戦では16ゴールを挙げる活躍も[1]、期待されたデニス・ベルカンプとのツートップは機能せず、プレーの相性は良くなかった[3]。同年のUEFAカップでは決勝のザルツブルク戦で第1戦、2戦で共にアシストを決めるなど優勝に貢献した。1994年夏にはレアル・マドリードへの移籍が決定的となったが、最終的に移籍は破談となった[1]。
1994-95シーズン限りでインテルを退団。インテルでは公式戦104試合に出場、50得点[4]。
1995-96シーズン、ボルシア・ドルトムントに移籍してリーグ優勝を果たすも、シーズン合計27試合3得点(リーグ戦17試合3得点[5])と活躍出来ずベンチを温めることも多かった。1997年に母国ウルグアイのナシオナル・モンテビデオへ移籍。在籍期間中に3度のプリメーラ・ディビシオン優勝(1998・2000・2001年)に貢献した。
ウルグアイ代表としては1984年に代表に初選出されると、1987年のコパ・アメリカに優勝。また1990年のイタリアW杯に出場し、エンツォ・フランチェスコリやウーゴ・デレオンを擁した事から大会のダークホースと目されたがベスト16で敗退した。ソサも初戦のスペイン戦でPKを外して(試合はスコアレスドロー)得点なしと、失意の大会となった。1991年のコパ・アメリカでは監督との確執により召集されなかった[1]。1995年のコパ・アメリカで再び優勝したが、以降代表には召集されなかった[1]。
個人成績
代表での成績
- 出典[6]
ウルグアイ代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1984 |
6 |
0
|
1985 |
0 |
0
|
1986 |
0 |
0
|
1987 |
4 |
0
|
1988 |
1 |
1
|
1989 |
13 |
9
|
1990 |
7 |
0
|
1991 |
0 |
0
|
1992 |
0 |
0
|
1993 |
9 |
4
|
1994 |
0 |
0
|
1995 |
6 |
1
|
通算 |
46 |
15
|
タイトル
クラブ
- レアル・サラゴサ
- インテル
- ボルシア・ドルトムント
- ナシオナル
代表
- ウルグアイ代表
個人
脚注
外部リンク