ラニー・キーン(Lanny Neal Kean Jr. 、1960年9月19日 - 2009年1月13日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。イリノイ州スコーキー出身[1]。
WWFでのカズン・ジュニア(Cousin Junior)、ザ・ムーンドッグスのムーンドッグ・クージョ(Moondog Cujo)などのリングネームで知られ、テネシー地区を主戦場に活動した[3]。
来歴
1983年にデビューした後、1984年よりTVテーピング用のジョブ・ボーイとして、本名のラニー・キーン名義でWWFに出場。ボブ・バックランド、ジミー・スヌーカ、サージェント・スローター、ティト・サンタナ、アレックス・スミルノフ、ロッキー・ジョンソン、マッドドッグ・バション、ワイルド・サモアンズ、ビッグ・ジョン・スタッドなどメインイベンターのジョバーを務めた[4]。
1984年末、インディアナポリスのWWAで農夫ギミックのハーリー・ホッグ(Harley Hogg)に変身[5]。翌1985年8月より同様のキャラクターのベビーフェイス、カズン・ジュニア(Cousin Junior)としてWWFに再登場し、ヒルビリー・ジム率いるヒルビリー軍団の一員となって活動[6]。ジェシー・ベンチュラ、ロディ・パイパー、カウボーイ・ボブ・オートンとの抗争アングルも短期間ながら組まれ、アンクル・エルマーと組んでグレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキが保持していたWWF世界タッグ王座にも挑戦した[3]。
WWF離脱後も同じギミックを用い、メンフィスのCWAやダラスのWCCWなどを転戦。CWAでは1986年8月30日、WWFでの盟友だったアンクル・エルマーことジャイアント・ヒルビリーとのコンビでAWA南部タッグ王座を獲得した[7]。
1989年末よりしばらくリングを離れた後、1992年よりCWAの後継団体USWAにおいて、ムーンドッグ・クージョ(Moondog Cujo)に変身。ザ・ムーンドッグスの新メンバーとなってヒールに転向し、ムーンドッグ・スポットやムーンドッグ・スパイクと組んでUSWA世界タッグ王座を再三獲得した[8]。USWAにおけるムーンドッグスとジェリー・ローラー&ジェフ・ジャレットの抗争劇は、プロレスリング・イラストレーテッドの1992年における "Feud of the Year" に選ばれている[9]。
その後、1995年よりビッグ・ダディ・サイラス(Big Daddy Cyrus)と名乗り、USWAでローラーとの抗争を再開[10]。セミリタイア後の1996年8月6日には、WCWのTVショーにラニー・キーン名義で出場してジョン・テンタと対戦[11]。1997年にはブッカーのダッチ・マンテルの発案で、オックス・ベーカーとブルーザー・ブロディにあやかった "ブラディ" オックス・ブロディ("Bloody" Ox Brody)のリングネームでUSWAに再登場した[10]。2007年4月27日にはムーンドッグ・クージョとして、メンフィス・レスリング主催の "PMG Clash of Legends" において10年ぶりにリングに復帰、ザ・バーバリアンから勝利を収めた[12]。
2009年1月13日、心臓発作のため48歳で死去[3]。
獲得タイトル
- コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- ユナイテッド・ステーツ・レスリング・アソシエーション
脚注
関連項目
外部リンク