ミラクルユートピア(欧字名:Miracle Utopia、1931年5月11日生)は日本の競走馬、種牡馬。
4歳春に帝室御賞典を制し、東京優駿大競走(日本ダービー)の本命馬と目されたものの、競走直前の調教中に故障、3戦3勝で引退した。半姉に1933年東京優駿大競走でカブトヤマの2着であったメリーユートピア(父クイツケロ)がいる[5]。中村一雄厩舎に預託され、中村が調教を行い、全3戦にみずから騎乗した。
経歴
デビュー前
1931年5月11日、室蘭市のユートピア牧場で誕生する[2]。
父クラツクマンナン(Clackmannan)は、日本の馬匹改良のため、帝国競馬協会が政府の購買官に嘱託して購入した英国馬である[6][7]。本馬は、日本に輸入後、政府に寄贈され、日高種馬牧場に繋養された[6]。クラツクマンナンの母は、イギリス牝馬クラシック三冠を達成した名牝、プリティーポリー(Pretty Polly)であった[8]。クラツクマンナンは日本において種牡馬として成功を収め、1933年には、父系別の獲得賞金総額で第一位となっている[9]。母エミール(Emile)は、1929年3月に、馬主の小林国威がオーストラリアから輸入した牝馬であった[2]。
ミラクルユートピアは、1933年秋に東京競馬場の中村一雄騎手兼調教師に預託された[2]。
競走馬時代
1934年1月6日に阪神競馬場 (鳴尾)でデビューすると、新呼馬戦[10]、新呼馬優勝戦[11]をともにレコードで圧勝し[12]、優駿の候補馬と評判になった[13][14]。その後、同年4月の帝室御賞典(東京競馬倶楽部)に出走[12]。5頭立ての競走となったが[15]、前年東京優駿大競走を制してダービー馬となったカブトヤマと、後の東京優駿大競走2着馬のテーモアを破ってレコード勝ちを収めた[12]。
そして、迎えた東京優駿大競走は、ミラクルユートピアや、駿足のフレーモア、テーモアが出走するとあって、出走馬は少なく11頭立てで争われる予定であった[16][17]。最大の人気を背負い[18]、「ダービーの優勝はまず不動[16]」と見られていたミラクルユートピアであったが、競走当日にアクシデントが発生する。この日の早朝、ミラクルユートピアは、競走前の最終調整として、内馬場のダートコースを軽めに走る調教を行っていたが、第4コーナーで前に少し躓き左前肢を脱臼[19]、骨折[注 1][2]してしまった[20][21]。この「世界のダービー史上でもかつてない不幸な出来ごと[16]」により、ミラクルユートピアは東京優駿大競走を出走取消となったばかりか、競走生命まで絶たれてしまい、そのまま引退となった[17]。本馬が不出場となった競走は、1着から3着までを尾形景造調教師の管理馬が独占する結果となり、優勝馬はフレーモアであった[16]。
種牡馬時代
引退後は、室蘭市のユートピア牧場で種牡馬入り[2]。1938年には千葉県の鎌ケ谷村に移り[2]、1944年まで供用された[22]。主要競走を勝った産駒として、フアンタスト(1943年横濱記念秋)[23]、ミツカゼ(1948年目黒記念春)[24]がいる。また、母父としてキヨフジ(母リガーユートピア、1951年優秀牝馬)を出した[25]。自身の出場できなかった日本ダービーにも、ダイユートピア(1940年23着)、アヤニシキ(1947年1番人気4着)、タカフブキ(1948年7着)等5頭の産駒を送り出したが、勝利馬は出なかった[16]。
その他産駒として、マイユートピア、ミラユートピアがいるが、これらは、それぞれミラクルユートピアの母であるエミール、半姉のメリーユートピアとの仔である[注 2][26][27]。
競走成績
以下の内容は、『競馬成績書 昭和9年 春季』[10][11][15]及び『日本ダービー25年史』[28]に基づく。
競走日
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競馬場
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競走名
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距離(馬場)
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頭数
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人気
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着順
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タイム
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着差
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騎手
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斤量 [kg]
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勝ち馬/(2着馬)
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1934.
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1.
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06
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鳴尾
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新呼
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芝1800m(良)
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9
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1人
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1着
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R1:54.0/5
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7馬身
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中村一雄
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55
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(セントパーク)
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1.
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14
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鳴尾
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優勝
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芝2000m(良)
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6
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1人
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1着
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R2:06.0/5
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9馬身
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中村一雄
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55
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(グロリア)
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4.
|
15
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東京
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帝室御賞典
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芝2000m(良)
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5
|
1人
|
1着
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R2:07.2/5
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1/2馬身
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中村一雄
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57
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(テーモア)
|
|
4.
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22
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東京
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東京優駿
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芝2400m(不)
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10
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-
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取消
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-
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-
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-
|
-
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フレーモア
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種牡馬成績
主要競走優勝産駒
- フアンタスト(1943年横濱記念秋)[24]
- ミツカゼ(1948年目黒記念春)[23]
母の父としての産駒
血統表
ミラクルユートピアの血統 |
(血統表の出典)[§ 1]
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父系 |
セントサイモン系
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[§ 2]
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父 *クラツクマンナン Clackmannan 1919 鹿毛
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父の父 Lomond 1909 鹿毛
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Desmond
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St.Simon
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L'Abbesse de Jouarre
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Lowland Aggie
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Alloway
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Agnes Sarum
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父の母 Pretty Polly 1901 栗毛
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Gallinule
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Isonomy
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Moorhen
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Admiration
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Saraband
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Gaze
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母 *エミール Emile 1925 青毛
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Maori King 1906 黒鹿毛
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Merriwee
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Bill of Portland
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Etra Weenie
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Indian Queen
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Stepniak
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Ranee Nuna
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母の母 Enileme 1909 鹿毛
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Gauleon
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Gozo
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Industry
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Emeline
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Osculator
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Emeline
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母系(F-No.)
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(FN:C1)
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[§ 3]
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5代内の近親交配
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St. Simon S4 x М5、Nellie, Emily M5 x M5
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[§ 4]
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出典 |
- ^ 『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻[2]、『サラブレッド血統書』第1巻[26]、netkeiba.com[29]
- ^ netkeiba.com[29]
- ^ netkeiba.com[29]
- ^ netkeiba.com[29]
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脚注
注釈
- ^ 『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻によれば、左前肢第二指骨骨折[2]。
- ^ マイユートピアについて、『サラブレッド系種牡馬名簿』第1巻には「本馬ハ父ミラクルユートピアナルヲ以テ弟馬ニシテ且産駒ナリ」と記されている[2]。
出典
参考文献
- 藤田太『科学的に見た競馬新戦術』曉山閣出版部、1934年
- 『日本ダービー25年史』日本中央競馬会、1959年
- 尾形藤吉『競馬ひとすじ:私と馬の六十年史』徳間書店、1967年
- 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー70年史』産業経済新聞社、2004年
- 『Gallop 臨時増刊 日本ダービー80年史』産業経済新聞社、2013年
外部リンク