『マルコ・ポーロ 大冒険』(マルコ・ポーロ だいぼうけん、仏: La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echiquier de Dieu) 「マルコ・ポーロの素晴らしい冒険 (神のチェス盤)」の意)は、1962年製作開始、1965年公開、ドニス・ド・ラ・パテリエール、ラウール・レヴィ、ノエル・ハワード共同監督による、フランス・イタリア・ユーゴスラヴィア・アフガニスタン合作の長篇劇映画である。
概要
1956年、ロジェ・ヴァディム監督の『素直な悪女』をプロデュースし、ヴァディムの妻ブリジット・バルドーを一躍スターダムに送り込んだ、アメリカ帰りの若手プロデューサー、ラウール・レヴィが、1962年、巨匠クリスチャン=ジャックを監督に、アラン・ドロンを主演に迎え、オールスターキャストで製作に着手したのが、本作である。当初は『マルコ・ポーロ』というタイトルであった。
製作過程で混乱が起き、監督・主演ともに降板、監督は中堅のドニス・ド・ラ・パテリエール、主演は『荒野の七人』(1960年)でチコ役を演じたホルスト・ブッフホルツに交代した。さらに、キング・ヴィダー監督の『ソロモンとシバの女王』(1959年)、デイヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(1962年)や、MGMが手がけたニコラス・レイ監督の超大作『北京の55日』(1963年)などの長期海外ロケーション、歴史大作のB班監督で腕を振るっていたノエル・ハワードを共同監督に招いて再出発した。一部、レヴィ本人が演出に乗り出すという幕もありながら、ようやく完成、1965年8月6日、フランスで公開された。
興行的には惨敗で、レヴィは大きな負債を背負い、自らのイエナ・プロデュクションは倒産に追い込まれた。本作の公開までの長い期間を利用し、レヴィは本格的な監督作『二人の殺し屋』を用意し、本作の公開のわずか5日後に公開している。本作を最後に、撮影監督アルマン・ティラールとは決裂し、『二人の殺し屋』以降は、ラウール・クタールを起用した。
ストーリー
13世紀、ヴェネツィア共和国(現在のイタリア・ヴェネツィア)。商業が盛んな同地では、ニコロ(マッシモ・ジロッティ)とマッテオ(ミカ・オルロヴィック)のポーロ兄弟はよく知られていた。賢人アッケルマン(オーソン・ウェルズ)の指導で学んでいた若きマルコ(ホルスト・ブッフホルツ)は、目下勉強中であった。
モンゴル帝国皇帝のクビライ(アンソニー・クイン)からローマの教皇への親書を携えて、マルコの父ニコロが旅から帰ってきた。ニコロの息子のマルコが、教皇からの返書を届ける役を仰せつかった。
砂漠や海や高原を越え、マルコが果敢に進んでいくが、行程があまりに困難で、途中で多くが脱落し、とうとうマルコひとりになった。「砂漠の風」ことシェーク・アッラ・フー(オマー・シャリフ)やロシア南部の女(エルザ・マルティネリ)らに出会う。ついにモンゴル帝国の中心部に近づいたマルコは、凶暴なナヤム大公(ロベール・オッセン)に阻まれた。
皇帝クビライが中国全域から花嫁を選ぶ、とのことで、若く美しい姫たちが、首都への旅をしていた。マルコは、ゴガティーン姫(リン・スー・ムーン)と出会い、姫のおかげで無事、皇帝に謁見できることができた。
マルコが、ヴェネツィアに帰ってきたときには、すでに25年が経過していた。17年間も中国に滞在し、広く世界を見聞し、それが『東方見聞録』という書物として花開いた。
キャスト
※括弧内は日本語吹替(初回放送1975年9月28日『日曜洋画劇場』)
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スタッフ・作品データ
註
外部リンク
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