マサ北宮(-きたみや、1988年10月27日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名、ならびに旧リングネームは、北宮 光洋(きたみや みつひろ)。富山県砺波市出身。血液型B型。プロレスリング・ノア所属。
富山県立高岡商業高等学校、桃山学院大学時代はレスリング部に所属[3]し、大学では主将も務めた[2][4]。
大学卒業後、健介オフィス(後のダイヤモンド・リング)に入門。2011年9月25日、健介オフィス自主興行・富山産業展示館(富山テクノホール)大会において同い年の梶原慧を相手にデビューを飾った[2][4]。
明るい性格と元気の良さが持ち前で、それらを生かした突貫ファイトが特徴[2]。
デビュー以降は所属するダイヤモンド・リングのホームマッチに加え、プロレスリング・ノアの興行にも、他のダイヤモンド・リング所属選手とともに定期的に参戦しセコンド業務もこなす[4]。
2014年3月4日、定期参戦しているノアへの移籍が決定した[5]。
2015年1月10日、森嶋猛との一騎討ちを終え、超危暴軍に加入した。
2016年4月11日、北宮がかつて所属した団体であるダイヤモンド・リングのスーパーバイザーであり、北宮も尊敬するマサ斎藤にあやかり、マサの承諾を得てマサ北宮へと改名した[6]。
7月16日、丸藤正道&矢野通組の保持するGHCタッグ王座に中嶋勝彦と組んで挑戦するも、北宮が丸藤からフォール負けを喫した。
9月23日、杉浦貴の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦するも、敗れた。
11月23日、グローバル・リーグ戦をブロック1位で勝ち上がり優勝をかけて鈴木みのると対戦するも敗れ、準優勝となった。
2018年3月11日、サイトー・スープレックス3連発からのフォール勝ちでGHCタッグ王座を獲得する。
2025年3月22日、OZAWAの保持するGHCヘビー級王座に8度目となる挑戦をするも敗れる。
かつてダイヤモンド・リング時代のライバルでもある中嶋、宮原健斗とは全く違い、北宮の技は尊敬するマサ斎藤のようなものを繰り出すことがある。前述の通り、突貫ファイトでぶつかって行くようなプロレスを身上としている。
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