ポンタルリエ (Pontarlier)は、フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、ドゥー県のコミューン。
オー・ドゥー地方の商業、文化、観光の中心地で、標高800キロメートルを超えるポンタルリエは、ブザンソンに次いで2番目に国内で標高の高い場所にあるコミューンである[1]。
地理
県の中央部東寄りにあるポンタルリエは、スイス国境から20キロメートルほどしか離れていない。ブザンソンの南東約60キロメートルの場所にある。
ラルモン山のふもとの高原に位置し、ドゥー川が流れる。
交通
ポンタルリエ駅には、パリ-ベルン間を走るTGVが毎日往復停車する。ポンタルリエ飛行場はコミューン西部にある。
語源
ローマ時代に書かれたアントニヌス旅行記(en)によれば、ウルバ(現在はスイスのコミューン、オルブ(英語版))とウェソンティオ(ブザンソン)の中間にアリオリカ(Ariolica)があり、これがポンタルリエのこととされる[2]。またアブロリカ(Abrolica)とも呼ばれた。ローマ時代に記された旅行記タブラ・ペウティンゲリアナによれば、Ariarica、AriolicaまたはAbiolicaと呼ばれていた[3]。ガリア語ではアリオリカとは『崖の前の土地』を意味するが、湿地を意味するArelasに由来するとされる[4] · [5] · [6]。
歴史
中世のポンタルリエは、南北ヨーロッパをつなぐ貿易の軸上にあった。以降、ポンタルリエは対スイス国境の商業中心地であった。ポンタルリエから5キロメートル離れたジュー峡谷は、古代よりジュラ山脈を越える最初の峠であった。オー・ドゥー地方の他コミューン同様、ポンタルリエは十年戦争(fr、フランシュ=コンテ支配をめぐるフランス=スペインの戦争)においてフランスの侵略を受けなかった。1639年1月には占領され略奪を受けた。
ポンタルリエは1915年に禁止されるまで、アブサン酒の一大生産地であった。アブサンの中心地のようにみなされてきた。
第二次世界大戦中ドイツに占領され、解放されたのは1944年9月であった。
出身者
姉妹都市
脚注