北緯43度17分00秒 西経2度10分00秒 / 北緯43.28333度 西経2.16667度 / 43.28333; -2.16667座標: 北緯43度17分00秒 西経2度10分00秒 / 北緯43.28333度 西経2.16667度 / 43.28333; -2.16667
サラウツ(バスク語: Zarautz)またはサラウス(スペイン語: Zarauz)は、スペイン・バスク州ギプスコア県のムニシピオ(基礎自治体)。公式名はバスク語表記のZarautz。人口は22,000人程度だが、夏季の観光シーズンには約60,000人となる。
バスク州内有数で、カンタブリア海沿岸でも一二を争う規模の砂浜を持ち、「砂浜の女王」(La Reina de las Playas)と称される。サラウツの市街地のすぐ東にはサン・ペラヨ川(バスク語、San Pelaio Erreka)という河川が流れている。
1237年、カスティーリャ王フェルナンド3世によって町としてサラウツは建設された。16世紀まで、住民は漁業、特に捕鯨に従事していた。ビスカヤ沿岸の海からタイセイヨウセミクジラが消えると、住民は農業や家具製造、船の建造に産業の転換を迫られた。
16世紀からあったナロス宮殿は、イサベル2世が夏の離宮としていた。このため貴族や上流階級の人々が19世紀に、遊歩道沿いに邸宅や住宅を築いた。
1980年11月3日、バスク祖国と自由(ETA)がサラウツでグアルディア・シビル(治安警備隊)を襲撃し、5人が死亡する事件があった。この年はバスク祖国と自由によるテロの犠牲者がもっとも多かった年である。
サラウツの市街地のすぐ南側には、E70号線(英語版)の一部である、AP-8(スペイン語版)が東西方向に通っており、ヨーロッパの道路網と接続している。また、スペイン国道N-634号線(英語版)は、市街地を東西方向に貫いている。
さらに、バスク鉄道の路線も東西方向に市街地を貫いており、市街地の中心部にサラウツ駅が、そこよりも東のサン・ペラヨ川のすぐ西にサン・ペラヨ・サラウツ駅が設置されており、ギプスコア県都サン・セバスティアンやビスカヤ県都ビルバオなどと接続している。
この他、自治体内を2つのバス路線が通っている。
サラウツには写真博物館と芸術・歴史博物館という2つの博物館がある。Dorre Luzeaでは頻繁に展示会が開催される。自治体内には多くの写真ギャラリーがある。
バスク地方の伝統である美食文化はサラウツでも重要な要素である。多くのレストランがあり、伝統的バスク料理または現代的な新バスク料理を提供している。1967年には料理人のルイス・イリサールがサラウツにスペイン3番目となる料理学校を開校させた[4]。スペインでもっとも有名な料理人のひとりであるカルロス・アルギニャーノは、1978年からサラウツの浜辺にあるホテル・レストランのシェフを務めている。バスク地方の他地域同様に、サラウツにはチョコ(Txoko)と呼ばれる多くの美食クラブが存在する。
サラウツには大きな砂浜があり、マリンスポーツも行われる。また市街地の北東端には、1916年に設立された、敷地面積約0.165 km2で、9つのホールを備えたゴルフ場もある[5]。