ローマのドムスの終焉は、古典文化の終焉の印の一つでもあった。Simon P. Ellis は「ローマ様式のペリスタイルのある邸宅が見られなくなったことは、古代世界とその生活様式の終焉を意味する。ペリスタイルのある邸宅は紀元550年以降には建てられなくなった」と述べている[5]。5世紀以降、ペリスタイルが少なくなると同時に、宮殿のような建物は拡張され、豪華になっていった。これは権力と古典文化がごく一部の階級に集中していったことを意味し、有力者のバシリカや謁見室が公的な性格を帯びて拡張されていった。東ローマ帝国ではその終焉はもっと後のことである。Ellisによれば、東ローマ帝国で最後に新築されたペリスタイルのある邸宅はアルゴスの "House of the Falconer" で、床にあるモザイクの様式から530年から550年に建てられたものとされている[6]。既存の邸宅は多くの場合、より多くのあまり裕福でない人々が住めるよう改造され、キュレネの "House of Hesychius" に見られるように列柱やポルチコの柱に壁を設けて小さい部屋をたくさん作るなどした[7]。
^J.A. Dickmann. "The peristyle and the transformation of domestic space in Hellenistic Pompeii", Journal of Roman Archeology 1997.
^A. Frazer, "Modes of European Courtyard Design before the Medieval Cloister" Gesta, 1973; K.E. Meyer, "Axial peristyle houses in the western empire," Journal of Roman Archaeology, 1999; S. Hales, The Roman House and Social Identity 2003.
^E.B. MacDougall, W.M.F. Jashemski, eds., Ancient Roman Gardens: Dumbarton Oaks Colloqium on the History of Landscape Architecture, 1979.
^Yvon Thébert, "Private life and domestic architecture in Roman Africa", in Paul Veyne, ed. A History of Private Life, I:From Pagan Rome to Byzantium (1985, Arthur Goldhammer, tr., 1987) esp. "The peristyle", pp 357-64.
^Simon P. Ellis, "The End of the Roman House" American Journal of Archaeology92.4 (October 1988:565-576) 冒頭部分にこれらの言葉がある。
^Ellis notes G. Akerström-Hougen, The Calendar and Hunting Mosaics of the Falconer in Argos, Stockholm, 1974; さらに後の6世紀のペロポネソスの Hermione でペリスタイルのある邸宅が建てられているが、これは既存の邸宅の改築である。(Ellis 1988:565).