ペスティレンス

ペスティレンス
Pestilence
基本情報
出身地 オランダの旗 オランダ オーファーアイセル州
トゥウェンテ エンスヘデ
ジャンル デスメタル
デスラッシュ
テクニカルデスメタル
プログレッシヴデスメタル

スラッシュメタル (初期)
ジャズ・フュージョン (1993)
活動期間 1986年 - 1994年
2008年 - 2014年
2016年 -
レーベル R/C・レコード
ロードランナー・レコード

マスコット・レコード
キャンドルライト・レコード
ハンマーハート・レコード
アゴニア・レコード
ファー・イースト・メタル・シンジケート
公式サイト pestilence.nl
メンバー
旧メンバー
  • マルティン・ファン・ドルネン (ボーカル、ベース)
  • ランディ・マインハルト (ギター)
  • パトリック・ウターウィック (リードギター)
  • サンティアゴ・ドブレス (リードギター)
  • カリン・パラスキヴ (リードギター)
  • ニック・サジアス (ベース)
  • トニー・チョイ (ベース)
  • ジャック・ドッド (ベース)
  • ヨルン・パウル・テセリン (フレットレスベース)
  • シュテファン・フィンマース (ベース)
  • ゲオルク・マイヤー (ベース)
  • アラン・ゴールドスタイン (ベース)
  • ティレン・ハドラップ (ベース)
  • エドワル・ネグレア (ベース)
  • ヨースト・ファン・デル・グラーフ (ベース)
  • マルコ・フォディス (ドラムス)
  • ピーター・ウィルドアー (ドラムス)
  • ユマ・ファン・エーケレン (ドラムス)
  • ティム・イェング (ドラムス)
  • デイヴィッド・ヘイリー (ドラムス)

セプティミウ・ハルシャン (ドラムス)

ペスティレンス (Pestilence)は、オランダエンスヘデデスメタルバンド1986年に結成され1994年に解散。2008年に再結成され2014年に活動を休止した後、2016年に活動を再開している。

オランダのバンドではあるが、これまでオランダ国外の出身者が多く在籍していた。特に2016年の活動再開後から2017年11月迄の一時期は全メンバーの出身国が異なることもある[注釈 1]など、多国籍バンドである。メンバー全員がオランダ出身者だったのは、2011年のメンバーチェンジから2012年のメンバーチェンジまでの約1年間が唯一[注釈 2]の期間である。また、その後2018年のメンバーチェンジから2019年のメンバーチェンジまでは、中心人物のパトリック・マメリ以外のメンバーがルーマニア出身[注釈 3]となっていたこともある。

略歴

1986年にオランダでパトリック・マメリ (G, Vo, B)と、ドイツ人ギタリストのランディ・マインハルト (G)の2名を中心に結成[1][2][3]。当時は、アメリカ合衆国ドイツスラッシュメタルから影響を受けていた[1]。結成後、ドラマーにマルコ・フォディス (Ds)が加入。1987年に1stデモ『Dysentery』をリリース。1stデモリリース後、マルティン・ファン・ドルネン (Vo, B)が加入、パトリック・マメリがギター専任になる[2][3]。1987年中に2ndデモ『The Penance』をリリース。同デモのベースパートは、パトリック・マメリが担当している[4]。このデモがきっかけとなり、インディペンデントレーベルロードランナー・レコードと契約[2][3]1988年に1stアルバム『Malleus Maleficarum』をリリースしデビューした。同アルバムは、スラッシュメタルを軸にデスメタルの要素を加えたもので、スラッシュメタル色が非常に強いものであった[2][3]。同アルバムについて、中心人物のパトリック・マメリは、「デビューアルバムは実験だった。(中略)あれはそんなにいい出来じゃなかったと思う」とインタビューで答えている[2][3]

1stアルバムリリース後、バンド活動への熱意が無くなったとの理由で結成メンバーのランディ・マインハルトが解雇される[2][3]。バンドは後任探しを始めるが、ランディと新たにサクロサンクト (Sacrosanct)というスラッシュメタルバンドを結成したマルコ・フォディスが続いて脱退[2][3]。マルコは短期間でバンドに復帰したが、この前後にマルティン・ファン・ドルネンが脱退[2][3]。これに対して、バス・ドーイイェス (B)がセッションで参加したが、マルティンが数か月で復帰したためバスは短期間でバンドを離れている[2][3]。脱退と復帰が相次いだものの、最終的にバンドメンバーで入れ替わったのはギタリストのみで、ギタリストにはパトリック・ウターウィック (G)が新たに加入している[2][3]1989年に、2ndアルバム『Consuming Impulse』をリリース。同アルバムから、音楽性をデスメタルへと舵を切った[2][3]。特に、一部バッキングにキーボードを用いるなど、当時としては新しい試みも行っている[2][3]。2ndアルバムについて、パトリック・マメリは、デスオビチュアリーに比肩するアルバムになったと思うと語っている[2][3]。同アルバムリリース後、マルティン・ファン・ドルネンが正式に脱退[2][3]。マルティンは、Asphyxというデスメタルバンドへ移籍した[2][3]。マルティンの後任には、カナダ人ベーシストのニック・サジアス (B)が加入する[2][3]。新体制で3rdアルバムの作成に取り掛かるも、ニックがバンドになじめなかったためレコーディング前に脱退[2][3]。このため、当時シニックで活動していたトニー・チョイ (B)をヘルプを依頼し、3rdアルバムを録音した[2][3]ボーカルはパトリック・マメリが兼任することになった[2][3]1991年に3rdアルバム『Testimony of the Ancients』をリリース。同アルバムでは、前作の方向性をより押し進め、激しいデスメタルにキーボードを導入したドラマティックな楽曲が増えた[2]。また3rdアルバムリリース後には、マルヴォレント・クリエイションらとのツアーも経験している[2][3]。一時、ジャック・ドッド (B)というベーシストも在籍したが、結局短期間で脱退。1993年1月に、ベーシストにヨルン・パウル・テセリン (Fretless B)が加入しベーシストがようやく定まる[2][3]。同年に4thアルバム『Spheres』をリリースした。4thアルバムでは、これまでのデスメタル路線を残しつつも音楽性を変化させ、プログレッシヴな音楽性となった[3]。この音楽性の変化は、バンドリーダーのパトリック・マメリが当時ジャズ・フュージョンにかなり入れ込んでおり、アルバムにおいてはデスメタルとジャス・フュージョンとを組み合わせた音楽を目指したためであった[1]。同アルバムのリリースに併せて、ファー・イースト・メタル・シンジケートから3rdアルバム『Testimony of the Ancients』と4thアルバム『Spheres』の日本盤がリリースされた。それぞれ『テスティモニー・オヴ・ジ・エインシェンツ~古人の証言~』、『スフィアーズ~存在の証明~』という邦題が付けられた。1994年にバンドは解散、パトリック・マメリも音楽業界から離れ、ミュージシャンからは引退した[1]

2006年にパトリック・マメリがC-187というグルーヴ・メタルバンドに参加し、音楽シーンに復帰する。そして、解散から14年が経過した2008年にパトリック・マメリ (Vo, G)により再結成[1]。再結成後、3rdアルバムに参加したトニー・チョイ (B)とダーケインなどで活動するピーター・ウィルドアー (Ds)が加入。マスコット・レコードと契約し、2009年に5thアルバム『Resurrection Macabre』を16年ぶりにリリースした。同アルバムレコーディング後に、解散時のメンバーのパトリック・ウターウィック (G)が復帰しており、同アルバムのメンバー写真に写っている。また、アメリカ合衆国やヨーロッパ南アメリカへとツアーも敢行した[1]。しかし、ピーター・ウィルドアーとトニー・チョイは短期間でバンドを離れている。ベーシストには、1994年解散時のベーシスト、ヨルン・パウル・テセリン (Fretless B)が復帰。また、ドラマーにはユマ・ファン・エーケレン (Ds)が加入し、2011年に6thアルバム『Doctrine』をリリース[1]2012年に入って、ヨルン・パウル・テセリンとユマ・ファン・エーケレンが脱退。ネクロファジストなどで活動するシュテファン・フィンマース (B)とヘイト・エターナルディヴァイン・ヘレシーで活動し、モービッド・エンジェルにもセッション参加しているティム・イェング (Ds)が加入するが、両名とも短期間で脱退。2012年にデイヴィッド・ヘイリー (Ds)、2013年にゲオルク・マイヤー (B)が加入した。大手ヘヴィメタルレーベルのキャンドルライト・レコードに移籍し、同年に7thアルバム『Obsideo』をリリースした。

2014年7月、活動停止を発表[5][6]。活動停止の理由は、中心人物のパトリック・マメリが、デス・ジャズ・フュージョンを標榜する新プロジェクト・Necromorphに注力するため[5][6]。このプロジェクトでは、ジャズ・フュージョンとペスティレンスよりもよりブルータルなデスメタルとの融合を目指している[5]

2016年10月に活動再開を発表[7]。中心人物のパトリック・マメリ以外のメンバーは総入れ替えとなっており、サンティアゴ・ドブレス (Lead G)、トニー・チョイ (B)、セプティミウ・ハルシャン (Ds)がメンバーである[7]2017年1月半ば、トニー・チョイの脱退とアラン・ゴールドスタイン (B)の加入が発表された[8]。しかし、アランは加入から3か月もたたない4月に脱退が発表された[9]。脱退の原因は、ビジネス面での相違があったため[9]。アランの脱退から数日後、新ベーシストとしてパラドックスのベーシスト、ティレン・ハドラップ (B)の加入が発表された[10]。また、同月中にはオランダのハンマーハート・レコードと契約を結んだことを発表した[11]。更に同年11月には、サンティアゴ・ドブレスの脱退とカリン・パラスキヴ (Lead G)の加入が発表された[12]。パラスキヴはセプティミウ・ハルシャンと別のプロジェクトで同僚であり、その縁で加入することになった[12]。ちなみにサンティアゴ・ドブレスは、次回アルバムのギターソロの一部に参加しているとのことである[12]

2018年に復活作『Hadeon』をリリース[12]。同年9月、多忙を理由にベーシストのティレン・ハドラップの脱退が発表された[13]。後任については、公式Facebook上で募集が行われ、フィンガー・ピッキングのベーシストを募集していた[14]。9月末、エドワル・ネグレア (B)の加入が発表された[15]。なお、ティレン・ハドラップは2018年のライヴには参加し、年末をもって脱退、エドワル・ネグレアの加入は2019年からとなった[15]。また、このエドワル・ネグレアの加入で、中心人物のパトリック・マメリ以外のメンバー全員がルーマニア出身となる。

2019年5月末、ギタリストのカリン・パラスキヴが脱退し、ルトガー・ファン・ノールデンブルク (G)が加入した[16]。この脱退は、パラスキヴのギター講師としての仕事や別のバンドのスケジュールがペスティレンスの活動と衝突してしまう事が原因であった[16]。8月、ポーランドアゴニア・レコードと契約したことを発表した[17]。12月には、ベーシストのエドワル・ネグレアが脱退し[18]、新たに元デュー・センテッドのヨースト・ファン・デル・グラーフ (B)が加入した[19]2020年5月、ドラマーのハルシャンの脱退と、ゴッド・ディスローンドで活動するミヒール・ファン・デル・プリフト (Ds)の加入が発表された[20]。ハルシャン脱退の理由は、前年から続く新型コロナウィルス感染症の流行が原因の経済不況、移動制限により、ハルシャンがプロミュージシャンとしての活動を停止するためとのことである[20]。この発表に併せて、9thアルバム『Exitivm』の制作も公表され[20]2021年6月にリリースされた。

2023年6月、ベーシストのグラーフが家族との時間を大切にするために脱退[21]。翌7月に、グラーフの後任にルー・ケラー (B)が加入した[22]

メンバー

現在のメンバー

バンドのリーダーで中心人物。ペスティレンスの楽曲の大半を作曲した。
C-187、Necromorphでも活動していた。
  • ルトガー・ファン・ノールデンブルク (Rutger van Noordenburg) - リードギター
ブリーディング・ゴッズ、ブラッドフェミーなどでも活動。
  • ルー・ケラー (Roel Käller) - ベース
マヤンなどでも活動。
  • ミヒール・ファン・デル・プリフト (Michiel van der Plicht) - ドラムス
アメリカ合衆国出身。ゴッド・ディスローンド、アポフィス、ウィンター・オヴ・シン、デトネーション、プロスティテュート・ディスフィギュアメント、カタファーク、トキソカラ等のバンドでも活動。

旧メンバー

  • マルティン・ファン・ドルネン (Martin van Drunen) - ボーカル、ベース
ヘイル・オブ・ブレッツAsphyx等でも活動。
  • ランディ・マインハルト (Randy Meinhard) - ギター
ドイツ出身。サクロサンクト等でも活動。
  • パトリック・ウターウィック (Patrick Uterwijk) - リードギター
一部楽曲で作曲を担当している。
  • サンティアゴ・ドブレス (Santiago Dobles) - リードギター
ベネズエラ出身。Aghora等でも活動。
  • カリン・パラスキヴ (Calin Paraschiv) - リードギター
ルーマニア出身。
  • ニック・サジアス (Nick Sagias) - ベース
カナダ出身。ソウルストーム等でも活動。
オブスキュラ等でも活動。
  • トニー・チョイ (Tony Choy) - ベース
キューバ出身。3rdアルバムにもセッション参加している。2016年の再結成に参加し、2017年に再脱退した。
シニックエイシスト等でも活動。
  • シュテファン・フィンマース (Stefan Fimmers) - ベース
ドイツ出身。ネクロファジストヒューマン・ブラッドフィースト等でも活動。
  • ゲオルク・マイヤー (Georg Maier) - ベース
ドイツ出身。コモン・グレイヴ等でも活動。
  • アラン・ゴールドスタイン (Alan Goldstein) - ベース
アメリカ合衆国出身。
  • ティレン・ハドラップ (Tilen Hudrap) - ベース
スロヴェニア出身。パラドックス等でも活動。
  • エドワル・ネグレア (Edward Negrea) - ベース
ルーマニア出身。
  • ヨースト・ファン・デル・グラーフ (Joost van der Graaf) - ベース
デュー・センテッド、アイ・ケイオス、クリープマイン、サイファーなどでも活動。
  • マルコ・フォディス (Marco Foddis) - ドラムス
イタリア出身。在籍時は、作詞も担っていた。
1988年にランディ・マインハルトと共にサクロサンクトを結成し脱退するも、サクロサンクトを短期間で脱退し、ペスティレンスに復帰した。
スウェーデン出身。ダーケインノン・ヒューマン・レヴェルアルマゲドンエレクトロキューション250ジェイムズ・ラブリエアーチ・エネミー等でも活動。
  • ユマ・ファン・エーケレン (Yuma van Eekelen) - ドラムス
ニュー・ドミネーションエクシヴィオス等でも活動。
  • ティム・イェング (Tim Yeung) - ドラムス
アメリカ合衆国出身。モービッド・エンジェルディヴァイン・ヘレシーヘイト・エターナル等でも活動。
  • デイヴィッド・ヘイリー (David Haley) - ドラムス
オーストラリア出身。ブラッド・ダスターコモン・グレイヴルーインズアメンタ等で活動。
  • セプティミウ・ハルシャン (Septimiu Hărşan) - ドラムス
ルーマニア出身。

セッションメンバー

  • バス・ドーイイェス (Bas Dooijes) - ベース
マルティン・ファン・ドルネンがバンドを離れた短期間在籍。マルティン復帰に伴い、バンドを離れた。
  • トニー・チョイ (Tony Choy) - ベース
3rdアルバムに参加。再結成後に加入し、活動した。

タイムライン

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • Malleus Maleficarum (1988年)
  • Consuming Impulse (1989年)
  • 『テスティモニー・オブ・ジ・エインシェンツ』 - Testimony of the Ancients (1991年)
  • 『スフィアーズ〜存在の証拠(あかし)』 - Spheres (1993年)
  • Resurrection Macabre (2009年)
  • Doctrine (2011年)
  • Obsideo (2013年)
  • Hadeon (2018年)
  • Exitivm (2021年)

その他のアルバム

  • Dysentery (1987年) ※デモ
  • The Penance (1987年) ※デモ
  • The Breed Beyond (1993年)
    シニックフィア・ファクトリービリーヴァーとの4-Wayスプリット・アルバム。
  • Mind Reflections (Compilation, 1994年)
    コンピレーション・アルバム。このアルバムジャケットに使用された絵が、2006年にリリースされたアンムーアドのセカンド・アルバム『Kingdoms of Greed』のアルバム・ジャケットとして、左右反転した状態で何故か使用されてしまうという珍事件が起きている。後に、アンムーアドのアルバムは、ジャケットの絵が差し替えられて再発された。
  • Chronicles of the Scovrge (2006年)
    1988年1989年のライブ・レコーディングと未発表曲1曲を収録したライブ・コンピレーション・アルバム。

注釈

  1. ^ 2016年活動再開時のパトリック・マメリ (Vo, G、オランダ出身)、サンティアゴ・ドブレス (G、ベネズエラ出身)、トニ―・チョイ (B、キューバ出身)、セプティミウ・ハルシャン (Ds、ルーマニア出身)の布陣から、ベーシストがアラン・ゴールドスタイン (B、アメリカ合衆国出身)、続いてティレン・ハドラップ (B、スロヴェニア出身)と変遷するまでが該当する。2017年11月にドブレスに代わり、カリン・パラスキヴ (G、ルーマニア出身)が加入して、メンバー全員の出身国が異なる状態は終了した。
  2. ^ パトリック・マメリ (Vo, G)、パトリック・ウターウィック (G)、ヨルン・パウル・テセリン (B)、ユマ・ファン・エーケレン (Ds)が当時のラインナップだった。
  3. ^ パトリック・マメリ (Vo, G)、カリン・パラスキヴ (G)、エドワル・ネグレア (B)、セプティミウ・ハルシャン (Ds)が当時のラインナップだった。

脚注

  1. ^ a b c d e f g Biography - Pestilence Pestilence Official Website 2014年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 有島博志『テスティモニー・オヴ・ジ・エインシェンツ~古人の証言~』(CDライナー)ペスティレンス、アポロン、日本、1993年。APCY-8127。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 有島博志、ペスティレンス「スフィアーズ~存在の証明~」『Spheres』、アポロン、日本、1993年。ACPY-8126。 
  4. ^ Pestilence - The Penance Encyclopaedia Metallum 2014年7月1日閲覧。
  5. ^ a b c Patrick Mameli Announces New Death Jazz Fusion Project NECROMORPH! Pestilence Official Website 2014年7月21日閲覧。
  6. ^ a b https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/posts/743330339038762 2014年9月13日閲覧。
  7. ^ a b Just For The FANS!!! Due to numerous requests and wanting: Pestilence Official Facebook 2017年2月24日閲覧。
  8. ^ https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/photos/a.291506224221178.64982.264412580263876/1286461858058938/?type=3&theater Pestilence Official Facebook 2017年2月24日閲覧
  9. ^ a b https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/posts/1373526639352459 Pestilence Official Facebook 2017年7月3日閲覧
  10. ^ https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/photos/a.291506224221178.64982.264412580263876/1379373188767804/?type=3 Pestilence Official Facebook 2017年7月3日閲覧
  11. ^ https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/photos/a.291506224221178.64982.264412580263876/1378155752222881/?type=3 Pestilence Official Facebook 2017年7月3日閲覧
  12. ^ a b c d https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/photos/a.596905237014607.1073741826.264412580263876/1575305652507889/?type=3 Pestilence Official Facebook 2017年12月16日閲覧
  13. ^ https://www.facebook.com/Pestilenceofficial/photos/a.596905237014607/1919095101462274/?type=3&theater Pestilence Official Facebook 2018年9月22日閲覧。
  14. ^ Dear fellow bassplayers”. Pestilence Official Facebook (2018年9月12日). 2018年9月22日閲覧。
  15. ^ a b We present to you”. Pestilence Official Facebook (2018年9月25日). 2018年9月30日閲覧。
  16. ^ a b Dear friends and fans”. Pestilence Official Facebook (2019年5月31日). 2019年8月4日閲覧。
  17. ^ 01/Aug/2019 PESTILENCE SIGN WITH AGONIA RECORDS”. Pestilence Official Facebook (2019年8月1日). 2019年8月4日閲覧。
  18. ^ Action Club, St. Petersburg.”. Pestilence Official Facebook (2019年12月16日). 2019年12月18日閲覧。
  19. ^ We like to introduce and welcome Joost van der Graaf (Creepmime, IChaos, Dew-Scented) as our newest PESTILENCE member.”. Pestilence Official Facebook (2019年12月16日). 2019年12月18日閲覧。
  20. ^ a b c Right before the drum recordings for the...”. Pestilence Official Facebook (2020年5月22日). 2020年6月10日閲覧。
  21. ^ STATEMENT PESTILENCE:”. Pestilence Official Facebook (2023年6月26日). 2023年9月24日閲覧。
  22. ^ So here we go: Roel Käller will...”. Pestilence Official Facebook (2023年7月22日). 2023年9月24日閲覧。

外部リンク

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Overview of the events of 1719 in art Overview of the events of 1719 in art List of years in art (table) … 1709 1710 1711 1712 1713 1714 1715 1716 1717 1718 1719 1720 1721 1722 1723 1724 1725 1726 1727 1728 1729 … Art Archaeology Architecture Literature Music Philosophy Science +... Events from the year 1719 in art. Events Jean-Baptiste Oudry becomes a member of the Académie Royale de Peinture et de Sculpture. Works Antoine Watteau, commedia dell'arte player Pierrot, c. 1718–19, (tradi...

 

Art Museum in Villeneuve d'Ascq, France LaMEstablished1983Location1, allée du Musée, Villeneuve d'Ascq, FranceWebsitewww.musee-lam.fr The Lille Métropole Museum of Modern, Contemporary and Outsider Art (LaM), formerly known as Villeneuve d'Ascq Museum of Modern Art, is an art museum in Villeneuve d'Ascq, France. With more than 4,500 artworks on a 4,000-square-metre (43,000 sq ft) exhibition area, the LaM is the only museum in Europe to present simultaneously the main components o...

 

Василь Брилевський  Майор (посмертно) Загальна інформаціяНародження 1915(1915)с. Середпільці, Радехівський район, Львівська областьСмерть 19 червня 1945(1945-06-19)с. Кліщівна, Рогатинський район, Івано-Франківська областьПсевдо «Боровий», «Босий»Військова службаПриналежність ...

Port on Madura Island in Indonesia This article relies largely or entirely on a single source. Relevant discussion may be found on the talk page. Please help improve this article by introducing citations to additional sources.Find sources: Kamal Harbour – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (December 2015) The port of Kamal Kamal is a port, on Madura Island in Indonesia. It is a ferry port, and connects with Surabaya's harbour of Tanjung Perak....

 

Accumulation of rainwater for reuse Basic configuration of domestic rainwater harvesting system in Uganda.[1] Rainwater harvesting (RWH) is the collection and storage of rain, rather than allowing it to run off. Rainwater is collected from a roof-like surface and redirected to a tank, cistern, deep pit (well, shaft, or borehole), aquifer, or a reservoir with percolation, so that it seeps down and restores the ground water. Dew and fog can also be collected with nets or other tools. Ra...

 

Hawaiian American singer-songwriter Kui LeeKui Lee performing at Kalia Gardens in Honolulu, 1965Background informationBirth nameKuiokalani LeeAlso known asKui LeeBorn(1932-07-31)July 31, 1932Shanghai, Republic of ChinaDiedDecember 3, 1966(1966-12-03) (aged 34)Tijuana, Baja California, MexicoGenresHawaiian musicOccupation(s)Singer, songwriterInstrument(s)VocalsYears active1961-1966LabelsColumbia Records, Music of PolynesiaMusical artist Kui Lee (born Kuiokalani Lee; July 31, 1932 – Dece...

遠見岬神社 本殿(2021年8月1日撮影)所在地 千葉県勝浦市浜勝浦1位置 北緯35度8分48.48秒 東経140度18分55.82秒 / 北緯35.1468000度 東経140.3155056度 / 35.1468000; 140.3155056 (遠見岬神社)座標: 北緯35度8分48.48秒 東経140度18分55.82秒 / 北緯35.1468000度 東経140.3155056度 / 35.1468000; 140.3155056 (遠見岬神社)主祭神 天富命社格等 郷社例祭 9月13日テン...

 

Japanese industrialist and shipbuilder In this Japanese name, the surname is Kawasaki. Kawasaki ShōzōBorn(1837-08-10)August 10, 1837Daikoku, Satsuma Domain, JapanDiedDecember 2, 1912(1912-12-02) (aged 75)JapanOccupation(s)Industrialist, shipbuilderTitleFounder of Kawasaki Heavy Industries Kawasaki Shōzō (川崎 正蔵, August 10, 1837 – December 2, 1912) was a Japanese industrialist and shipbuilder.[1] He was the founder of Kawasaki Heavy Industries. Biography Born in Kagos...

 

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!