ペクサンは海戦において平射砲で炸裂弾を使用することを1822年の自身の著作(Nouvelle force maritime et artillerie)で主張した。[3]
ペクサンは、炸裂弾が高初速の平射砲から発射できるように史上初の遅延機構を開発した。炸裂弾が木製の船体に深く侵入してから炸裂すれば、破滅的な損害を与えられる。ペクサンは1824年に戦列艦パシフィカトゥール(Pacificateur)を使った実験で、船体をみごとに破壊して炸裂弾の威力を証明した[2]。この試験のために、1823年と1824年に2門の砲が試作された。ペクサンはその結果を「フランス海軍の実施した新型兵器についての実験(Experiences faites sur une arme nouvelle)」に記している[3]。砲弾には、発射の衝撃で自動的に作動する信管がしくまれていた。砲弾は柔らかい木製の船体に深く侵入し、その一瞬後に爆発する。
"ブレストで1821年と1824年に行われた実験で、砲弾は廃艦となったパシフィカトゥールを激しく破壊した。フランス海軍の砲弾システムはこの成果を基に作られているが、この砲弾には特殊な信管がしくまれ、砲内の発射薬の爆発によって作動し、その予想飛翔時間よりやや遅れて炸裂するように設定することにより、敵艦船に対して他のいかなる砲弾よりも高い効果を発揮する。" — 艦砲に関する論文(A treatise on naval gunnery by Sir Howard Douglas)[4]
ペクサン砲は、艦上で炸裂弾を発射する砲の威力について海軍軍人を納得させ、正式採用に至っているが、炸裂に重点を置きすぎた設計であったため、精度と射程が犠牲になっていた。…ペクサンのシステムと私(ダルグレン)のシステムとの違いは、ペクサン砲は炸裂弾専用であって、実体弾の発射や遠距離での貫通力および精度に欠けている点であった。それはつまり、実体弾を発射する砲の補助的な存在であった。結局他の砲と合わせて搭載する必要があり、それを嫌うものも多く、フランスにおいても大規模には採用されなかった。これに対して私のアイデアは、炸裂弾を遠くに正確に飛ばすことができ、必要に応じて実体弾も発射できる砲を作るということである。同時に、装備する砲もすべてこの種の砲ですむ。 — Admiral John A. Dahlgren.[7]
Penny cyclopaedia of the Society for the diffusion of useful knowledge, second suppplent (1858)
Robert L. O'Connell: "Of Arms and Men: A History of War, Weapons, and Aggression", Reprint (Oxford Univ Pr on DemandApril 19, 1990. ISBN 978-0195053609)
Jeff Kinard and Spencer C. Tucker: "Artillery: An Illustrated History Of Its Impact (Weapons and Warfare)", ABC-Clio Inc (2007/3/30). ISBN 978-1851095568
Howard Douglas: "A Treatise On Naval Gunnery", Reprint (Kessinger Publishing, LLC (May 23, 2010). ISBN 978-1161625288
Walter Millis: "Arms and Men: A Study in America Military History", Rutgers Univ Pr (1981/09). ISBN 978-0813509310
Arthur Walworth: "Black Ships Off Japan: The Story of Commodore Perry's Expedition", Walworth Press (2008/11/30). ISBN 978-1443728508
Clarence Stewart Peterson, John Adolphus Bernard Dahlgren: "Admiral John A. Dahlgren: Father of United States Naval Ordance", 1945