『グラディアトリア 』武術書、15世紀、「Ex Biblioth. Regia Berolinensi.」というベルリン王立図書館の蔵書印が押された表紙
ベルリンカ (The Berlinka ) は、「ベルリンの担保」「プロイセンの至宝」とも呼ばれ、元来ベルリン のプロイセン国立図書館 に所蔵されていたドイツの手稿本 コレクションのポーランド での名称で、第二次世界大戦 終了以来、クラクフ のヤギェウォ図書館 に所蔵されている。このコレクションの法的地位については、現在も論争中である。
歴史
1942年9月以降の第二次世界大戦中に、ドイツ政府はベルリンにあるコレクションを連合国 のベルリン空襲 から守るために、プロイセン領南シレジア (英語版 ) にあるグリュッサウ (現在のクレシュフ (英語版 ) ) の押収された修道院 (英語版 ) へ移した[ 1] 。オーデル・ナイセ線 の東にある南シレジア地方が戦争後にポーランド人民共和国 の統治下に置かれると、ポーランド政府はコレクションが戦時賠償 だと秘かに主張した[ 2] 。1945年から1946年にかけての冬、コレクションはポーランドの市民民警 (英語版 ) によって撤去され、その後クラクフへ移された[ 注釈 1] 。
1965年、ポーランドと東ドイツ 政府はプロイセン国立図書館の膨大なコレクションの返還に関する協定に署名したが、ポーランド政府はヤギェウォ図書館にある「ベルリンカ」の存在を1977年まで公表しなかった。この年にポーランドの第1書記エドヴァルト・ギェレク が東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカー 議長に7曲の楽譜を贈呈したが、その中にはモーツァルトの『魔笛 』自筆譜や、ベートーヴェンの『交響曲第9番 』の楽譜が含まれていた[ 3] [ 4] 。
論争
旧ドイツ東部領土 の管轄権が1945年のポツダム協定 で撤回されて以来、ポーランドは「ベルリンカ」の所有権が第二次世界大戦におけるポーランドの略奪 (英語版 ) によって失われた文化遺産の賠償だと主張した。ナチス・ドイツ によって破壊されたポーランドの文化遺産は、特に1944年のワルシャワ蜂起 の失敗以降、200億ドルに達した[ 2] 。ドイツのいくつかのメディアは、「ベルリンカ」を「最後のドイツ人捕虜 」と呼んでいる。ドイツ政府はポーランドが1907年のハーグ条約 に違反していると主張したが、ボーランド側はコレクションが略奪 品ではなく、戦後のポーランド領にあったと強調した。
1989年の東欧革命 後、1991年にドイツ・ポーランド善隣友好条約 (英語版 ) が結ばれ、「ベルリンカ」の所在を明らかにし確認するための交渉が何回か行われた。ポーランドはいくつかの取り組みをおこない、2000年には外務大臣ヴワディスワフ・バルトシェフスキ が、こうしたコレクションを所有するためのドイツ・ポーランド基金の創設を提案した。しかし、ドイツ政府は拒否した。バルトフェフスキによると、ドイツのゲアハルト・シュレーダー 首相が提案を実行しなかったからだという。ドイツはポーランドに対し「ベルリンカ」の無条件返還を求めているが、ポーランドはドイツにはいまだに第二次大戦で略奪したポーランドの文化遺産があり、それと交換すべきだと主張している[ 2] 。
2007年夏、『デア・シュピーゲル 』誌はドイツ外務省 外交官ユリア・グロースの発言を引用し、問題の決着は最低水準だと報じた。また、ポーランドも返還は問題外だと表明した[ 3] 。2014年、ドイツはポーランドに、1939年にワルシャワ国立美術館 から略奪したフランチェスコ・グアルディ の絵画「宮殿の階段」を返還した。これは、「ベルリンカ」の返還交渉再開をドイツ側が期待している表れである[ 5] 。
コレクションの内容
ヤギェウォ図書館、 クラクフ
「ベルリンカ」は、かつてのプロイセン国立図書館の最も貴重な所蔵品の一部である。そこにはルター 、カルヴァン 、ゲーテ 、シラー 、ヘーゲル 、ヘルダー といった作家の50万枚以上の中世の写本、近世の印刷物、サインが含まれる。その中にはルドミラ・アッシング (英語版 ) と彼女の叔父カール・ファルンハーゲン・フォン・エンゼ (英語版 ) の膨大な書簡、グリム兄弟 の手書き注記入りの『ドイツ語辞典 (英語版 ) 』[ 6] 、ヨハン・セバスティアン・バッハ (と息子たち) 、モーツァルト (『後宮からの遁走 』)、ベートーヴェン 、シューベルト 、ブラームス 、シューマン 、ハイドン 、メンデルスゾーン 、パガニーニ 、ブゾーニ 、ケルビーニ 、そしてテレマン の自筆楽譜が含まれている。一方で、1820年から1840年にかけてプロイセン政府がポーランド分割で得た領土のグニェズノ、ルビン、モギルノ、パコシチ、ゴシチコボ、ペルプリン、そしてポズナン の修道院から集めた、写本やインキュナブラ もコレクションに含まれている[ 7] 。
来歴 ごとにリスト化されたコレクションは、現在研究者と大学院生のみに公開されている。ヤギェウォ図書館の数多のインキュナブラがオークションで発見されて以来、1999年から利用条件は厳しくなった。
関連項目
脚注
注釈
^ 『ペイパーチェイス』p183によれば、移動が行われたのは1946年5月から8月にかけてであった。
脚注
^ 『ペイパーチェイス』白水社、1986年、69-78頁。
^ a b c (ポーランド語) Rosjanie oddają skradzione dzieła sztuki , Gazeta Wyborcza, 2007-10-14
^ a b (ドイツ語) Der Spiegel : BEUTEKUNST-RÜCKGABE Polen stellt sich stur, 8 August 2007 [1]
^ 『ペイパーチェイス』白水社、309頁。
^ “Germany returns art stolen by Nazis in 1939 to Poland ”. BBC News (31 March 2014). 1 April 2014 閲覧。
^ (ドイツ語) German TV HR: Handexemplare des Grimmschen Wörterbuchs in Krakau gefunden [2]
^ (...) do słynnej Pruskiej Biblioteki Państwowej w Berlinie włączono starodruki pochodzące z klasztorów w Gnieźnie, Lubiniu, Mogilnie, Pakości, Paradyżu, Pelplinie i Poznaniu. Jan Pruszyński. “Kulturkampf ” (ポーランド語). wprost.pl . 2009年11月21日 閲覧。
参考文献
外部リンク
座標 : 北緯50度03分41秒 東経19度55分25秒 / 北緯50.0615度 東経19.9236度 / 50.0615; 19.9236
^ “国立国会図書館デジタルコレクション ”. dl.ndl.go.jp . 2024年6月16日 閲覧。