ブランチ・スウィート

ブランチ・スウィート
Blanche Sweet
Blanche Sweet
1915年
本名 Sarah Blanche Sweet
生年月日 (1896-06-18) 1896年6月18日
没年月日 (1986-09-06) 1986年9月6日(90歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
職業 女優
活動期間 1909-30年、1958-60年
配偶者 マーシャル・ニーラン(1922–29年、離婚)
レイモンド・ハケット(1935-58年、死別)
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ブランチ・スウィート(Blanche Sweet、1896年6月18日[1] - 1986年9月6日[2])は、アメリカ合衆国サイレント映画女優ハリウッド映画産業の最も初期の頃から経歴を開始している。ブランシュ・スウィートとも表記される[3]

生い立ち

サラ・ブランチ・スウィートとしてイリノイ州シカゴの芸能一家に生まれる[2]。父親は家族を捨て、母親も彼女を産んで間もなく亡くなったので、祖母に育てられる[1]。生活のため生後18ヶ月で「ベイビー・ブランチ」として初舞台を踏む[2][1]。1900年、4歳の時にモーリス・バリモア英語版ライオネルエセルジョンの父親)が主演する『The Battle of the Strong』という舞台に出演。10年後にD・W・グリフィス監督の映画で、バリモアの息子ライオネルと共演することとなる[4]。10代の頃、ルース・セント・デニスからダンスのレッスンを受けている[2]。1909年、祖母と共にニューヨークにいた時にバイオグラフ・スタジオとエジソン・スタジオの面接を受け、後者でエキストラ出演をした後、短編映画『A Man with Three Wives』でデビューした[5]

経歴

『女の叫び』(1911年)
『ベッスリアの女王』(1914年)

バイオグラフ・スタジオのD・W・グリフィス監督と会い、エキストラを経てメアリー・ピックフォードと並ぶ主演女優となった[6]。後にリリアン・ギッシュが登場、3人の女優の個性は他と比べようが無いほど多様であった[6]

1911年に公開されたグリフィス監督の『女の叫び』はスウィートの同社で最も有名な短編映画である[6]。初期の特筆される主演映画として、化粧無しでは異性を惹付けられないという強迫観念に囚われた複雑なヒロインを演じた短編映画『The Painted Lady』(1912年)が挙げられる。1975年1月23日付のニューヨーク・タイムズのヴィンセント・キャンディは「監督と主演女優のちょっとした力技」と評している[6]

バイオグラフでグリフィスとスウィートが組んだ最後の映画がタイトルロール(原題を直訳すると『ベッスリアのジュディス』)を演じたグリフィス初の長編映画『ベッスリアの女王英語版』(1914年)である。その後グリフィスはバイオグラフを離れ、スウィートも従った[7]。1914年、新天地ミューチュアル社英語版で主演女優として『暗黒界英語版』、『ホーム・スイート・ホーム英語版』、『恐ろしき一夜英語版』と立て続けにグリフィス監督作品に出演[7]

スウィートは当然の如く『國民の創生』(1915年)のエルシー・ストーンマン役は自分にまわってくると思っていたが、キャスティングされたのはリリアン・ギッシュであった。その代りセシル・B・デミルから高額でオファーを受ける[7]。この時グリフィスに引き留められなかったことに傷付き、その後は袂を別つ。これまでの恩義に感謝するには若すぎ、彼の晩年に1度も会わなかったことを長年後悔する[8]

1915年、2本のデミル監督作品『The Warrens of Virginia[9]、『The Captive』に主演する[10]。1917年まで、フェイマス・プレイヤーズでさらに17本の映画に出演した[11]。スウィート自身は『The Warrens of Virginia』と『The Captive』を評価しておらず、1916年にセシルの兄ウィリアム・C・デミルが監督した『The Ragamuffin』、『The Blacklist』、『The Sowers』を高く評価していた[11]。1917年には、最初の夫となるマーシャル・ニーラン英語版の監督作品『Those Without Sin』、『The Tides of Barnegat』、『The Silent Partner』に出演。ニーランがまだバイオグラフの俳優だった時に2人は出会っていた[11]

1917年にフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー英語版を離れ、約2年間スクリーンから遠ざかる。この時期については口を閉ざしており、薬物中毒に陥っていたと推測されている[12]。1919年にマーシャル・ニーラン監督の独立系映画『The Unpardonable Sin』で復帰を果した[13]。この後は作品を選びながらコンスタントに主演作が続く[12]。1922年にニーランと結婚[14]

『海の洗礼』(1923年)ジョージ・F・マリオンと

この時期の代表作と言えるのがユージン・オニールの戯曲の初映画化『海の洗礼』(1923年)である。トーマス・H・インス製作、ジョン・グリフィス・レイ英語版監督、ウィリアム・ラッセル英語版ジョージ・F・マリオン英語版ユージニー・ベッセラー英語版が共演した。インスは映画化権に35,000ドルを費やし、165,000ドルの製作費をかけた[12]。1930年にトーキーでリメイクされた際に(『アンナ・クリスティ』)タイトルロールを演じたのはグレタ・ガルボで、スウィートは再び自分に声がかからなかったことを残念に思っていた[12]

1924年、ニーランとスウィートは監督と女優のチームとして、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(以下MGM)と独立資本で製作した長編映画をMGMを通して配給するという契約を結ぶ[15]。2本のみが公開された後、MGMとニーランの間で契約を巡り訴訟となったが、何故かスウィートに累は及ばず1930年にもMGM映画に出演している[15]。1926年、ニーランとの最後の映画となるパラマウント配給の『外交』に出演、1929年にはニーランと離婚した[14]

トーキーの時代になり女優として終わりが近付いてきていた。子供の頃に舞台女優経験もあり美しい声も持っていたが、20年というキャリアは若さと新鮮さを求める業界にあって長すぎるものであった。1929年、ヴァイタフォン短編映画『Always Faithful』に出演、スウィートの声が収録されている[16]。出演した3本のトーキー映画『The Woman Racket』、『ハリウッド盛衰記英語版』、『銀鱗に躍る英語版』は全て1930年に公開された[16]

ハリウッドを去った女優が現実世界で出来ることはあまり無かった。1935年、俳優のレイモンド・ハケット英語版と結婚[17]。同年ブロードウェイロバート・E・シャーウッド英語版の舞台『化石の森』にサブヒロインとして出演、主役の男性2人ハンフリー・ボガートレスリー・ハワードは後に映画版『化石の森』にも主演したが、スウィートにはワーナー・ブラザースからお呼びはかからなかった。ラジオや初期のテレビに時折出演はしたが、しばらくはロサンゼルスの百貨店の店員として勤めていた[16]

1958年7月7日、2人目の夫レイモンド・ハケットが亡くなり[18]、ニューヨークに転居[16]。同年11月、現役復帰を表明し、NBCの連続テレビドラマ『影なき男英語版』へのゲスト出演、ダニー・ケイ主演の『5つの銅貨』(1959年)へのカメオ出演を果たす[19]。1960年、CBSの連続テレビドラマ『ドビーの青春』の第1シーズンの1エピソードにゲスト出演[20]

私生活

スウィートは2回結婚している。映画監督のマーシャル・ニーラン英語版と1922年に結婚したが、ニーランの飲酒が原因で1929年に別れた[21]。1935年、6歳年下で俳優のレイモンド・ハケット英語版と結婚、共に再婚でありハケットには5歳になる息子がいた[17]。1958年7月7日、夫ハケットが腸疾患により55歳で死去、未亡人となった[18]

死去

1986年9月6日、脳梗塞によりニューヨークの自宅で死去、90歳であった[2]。後に彼女の遺灰はブルックリン植物園に撒かれた[22]

映画界への貢献により、ヴァインストリート1771のハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにブランチ・スウィートの星型プレートがある[23]

主な出演作品

『モンタナ』(1921年)広告
原題 邦題 役名 備考
1911 The Lonedale Operator 女の叫び Daughter of the Lonedale Operator 短編映画
クレジットされず
1912 The Painted Lady The Older Sister 短編映画
1914 Judith of Bethulia ベッスリアの女王 Judith
The Escape 暗黒界 May Joyce
Home, Sweet Home ホーム・スイート・ホーム The Wife
The Avenging Conscience 恐ろしき一夜 The Nephew's Sweetheart
1915 The Warrens of Virginia Agatha Warren
The Captive Sonya Martinovich
1916 The Ragamuffin Jenny
The Blacklist Vera Maroff 紛失
The Sowers Vera Maroff
1919 The Unpardonable Sin Alice Parcot / Dinny Parcot
A Woman of Pleasure 歓楽の女 Alice Dane
1920 The Girl in the Web 網中の娘 Esther Maitland 紛失
Help Wanted - Male 花婿入用 Leona Stafford 紛失
Her Unwilling Husband 心進まぬ夫 Mavis 紛失
1921 That Girl Montana モンタナ Montana Rivers
1922 Quincy Adams Sawyer Alice Pettengill
1923 In the Palace of the King パレス Dolores Mendoza
Anna Christie 海の洗礼 Anna Christie
1924 Those Who Dance Rose Carney
Tess of the d'Urbervilles 受難のテス Teresa "Tess" Durbeyfield 紛失
1925 The Sporting Venus スポーツの女神 Lady Gwendolyn
His Supreme Moment 歓楽の舞姫 Carla King 紛失
The New Commandment 動員一下 Renee Darcourt 紛失
Bluebeard's Seven Wives 世界の寵児 Juliet 紛失
1926 Diplomacy 外交 Dora
1927 Singed 身を焦がして Dolly Wall
1929 Always Faithful Mrs. George W. Mason 短編映画
ヴァイタフォン
1930 The Woman Racket Julia Barnes Hayes
Show Girl in Hollywood ハリウッド盛衰記 Donny Harris, aka Mrs. Buelow
The Silver Horde 銀鱗に躍る Queenie
1959 The Five Pennies 5つの銅貨 Headmistress of School クレジットされず

脚注

  1. ^ a b c Slide, Anthony (2002-09-27). Silent Players: A Biographical and Autobiographical Study of 100 Silent Film Actors and Actresses. p. 359. ISBN 978-0-813-12249-6 
  2. ^ a b c d e Jerry Belcher (1986年9月9日). “Blanche Sweet, 90, Major Star of Silent Films, Dies”. Los Angeles Times. http://www.latimes.com/local/obituaries/la-me-blanche-sweet-19860909-story.html 2016年2月29日閲覧。 
  3. ^ ブランシュ・スウィートの映画作品”. MOVIE WALKER PRESS. ムービーウォーカー. 2024年7月13日閲覧。
  4. ^ Pratt, George C. (March 1975). “The Blonde Telegrapher: Blanche Sweet” (PDF). Image (Rochester, N.Y.: International Museum of Photography at George Eastman House Inc.) 18 (1): 21–23. オリジナルの2012年10月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121022061147/http://image.eastmanhouse.org/files/GEH_1975_18_01.pdf 2016年2月29日閲覧。. 
  5. ^ Slide 2002, pp. 359-360
  6. ^ a b c d Slide 2002, p. 360
  7. ^ a b c Slide 2002, p. 361
  8. ^ Slide 2002, pp. 361-362
  9. ^ “"The Warrens of Virginia" Is Big Attraction at The T & D”. Berkeley Daily Gazette. (1915年3月15日). https://news.google.com/newspapers?nid=1970&dat=19150315&id=jPcxAAAAIBAJ&sjid=rOMFAAAAIBAJ&pg=4749,3315169&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  10. ^ “Blanche Sweet in "The Captive"”. Eugene Register-Guard. (1915年6月12日). https://news.google.com/newspapers?nid=1310&dat=19150612&id=1l9XAAAAIBAJ&sjid=XPADAAAAIBAJ&pg=2554,5715647&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  11. ^ a b c Slide 2002, p. 362
  12. ^ a b c d Slide 2002, p. 363
  13. ^ “In 'Unpardonable Sin' Blanche Sweet Is Back”. Ludington Daily News. (1919年8月3日). https://news.google.com/newspapers?nid=110&dat=19190803&id=4wYcAAAAIBAJ&sjid=w1QEAAAAIBAJ&pg=2685,610128&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  14. ^ a b “Blanche Sweet Says Neilan Was Cruel; She Gets Divorce”. The Southeast Missourian. (1929年10月22日). https://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=19291022&id=z3ApAAAAIBAJ&sjid=W9IEAAAAIBAJ&pg=4477,4822686&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  15. ^ a b Slide 2002, p. 364
  16. ^ a b c d Slide 2002, p. 365
  17. ^ a b “Blanche Sweet to Wed Hackett”. Ellensburg Daily Record. (1935年8月8日). https://news.google.com/newspapers?nid=860&dat=19351008&id=kckrAAAAIBAJ&sjid=R4MFAAAAIBAJ&pg=2902,3700971&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  18. ^ a b “Raymond Hackett”. Toledo Blade. (1958年7月8日). https://news.google.com/newspapers?nid=1350&dat=19580708&id=FDoxAAAAIBAJ&sjid=3gAEAAAAIBAJ&pg=4466,5269688&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  19. ^ Joe Finnigan (1958年11月3日). “Blanche Sweet Returns to Films”. The Milwaukee Sentinel. https://news.google.com/newspapers?nid=1368&dat=19581103&id=8FVQAAAAIBAJ&sjid=lw8EAAAAIBAJ&pg=7345,1416518&hl=ja 2016年2月29日閲覧。 
  20. ^ The Many Loves of Dobie Gillis: Season 1; Episode 31, Where There's a Will”. tv.com. 2016年2月29日閲覧。
  21. ^ Klepper, Robert K. (2005-01-31). Silent Films, 1877-1996: A Critical Guide to 646 Movies. p. 335. ISBN 978-0-786-42164-0 
  22. ^ Blanche Sweet”. Find A Grave. 2016年2月29日閲覧。
  23. ^ Blanche Sweet - Hollywood Star Walk”. Los Angeles Times. 2016年2月29日閲覧。

外部リンク

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