トーマス・ハーパー・インス(Thomas Harper Ince、1882年11月16日 - 1924年11月19日)は、アメリカ合衆国のサイレント映画期のプロデューサー、映画監督、脚本家、俳優。「ウエスタンの父」として知られ、生涯で800本以上の映画を製作した[1]。
概要
インスは、ハリウッドで初めてメジャーのスタジオ施設を作ったことと、映画製作の工程にライン生産方式を導入したことによって、映画産業に革命を起こした。ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズ(英語版)に「インスヴィル(Inceville)」と呼ばれる自身のスタジオを持った。さらに映画におけるプロデューサーの役割を大きくした。早川雪洲を発掘したことでも知られる。
脚本を書いた『The Italian』(1915年)、プロデュースを務めた『Hell's Hinges』(1915年)、監督を務めた『シヴィリゼーション』(1916年)の3本はアメリカ国立フィルム登録簿に保存されている。後にD・W・グリフィス、マック・セネットとトライアングル・フィルム・コーポレーションに参加した。
トライアングルから離れた後、トライアングルのスタジオのあった場所(現在そこはソニー・ピクチャーズ・スタジオになっている)から1マイル離れたところに新スタジオを建設した(現在のカルバー・スタジオ)[2] [3]。
主な作品
ポピュラーカルチャーにおいて
大富豪ウィリアム・ランドルフ・ハースト主催の豪華船上パーティの最中に、心臓発作で急死した。これを、ハーストに殺されたにもかかわらずその事実が隠蔽された、との噂が立てられた。この噂に基づいた映画『ブロンドと柩の謎』(2001年)が作られている[4]。
日本語訳のある伝記など
脚注
外部リンク