ブラマプトラ川 (ブラマプトラがわ、英 :Brahmaputra River, ヒンディー語 :ब्रह्मपुत्र Bramhaputra, ベンガル語 :ব্রহ্মপুত্র Brohmoputro)は、チベット に発しバングラデシュ でガンジス川 と合流し、ベンガル湾 へ注ぐ河川である。チベットではヤルンツァンポ川 (表記によってはヤル・ツアンポー川とも。チベット語 :ཡར་ལུང་གཙང་པོ་ Yar-lung gTsang-po, 中国語 :雅魯藏布江 )、バングラデシュではジョムナ川 (英:Jamuna River, ベンガル語:যমুনা Jomuna)と呼ばれている。
語源
ブラマプトラは「ブラフマー の息子 (プトラ)」の意味。
流域
全長2,900km。源流はヒマラヤ山脈 の北側で、マーナサローワル湖 から流れでてチベット高原 南部を東進した後ヒマラヤ山脈東端をかすめ南下、インド のアッサム州 を西へ向け横断、ガンジスに合流する。その合流点では世界最大の広大な三角洲 を形成している。中流から下流域にかけて堆積平野が広がり、主に農業が営まれる。雨季 にはしばしば氾濫し、氾濫のためにできた沼沢地や池が残る。
自然環境
流域にはインドサイ の生息地であるインドのカジランガ国立公園 があり、ユネスコ の世界遺産 に登録されている。
探検史
チベット地域を流れるツアンポー川はチベットを横断した後ナムチャバルワ (7,782m)とギャラペリ (英語版 ) (7,294m)の間の峡谷部で大きく南に流れを旋回させる(ツアンポー川の大屈曲部)。この川がヒマラヤの山中に姿を消した後、どこに流れるかは長らく謎であった。当時のアッサムの測量責任者であったヘンリー・ジョン・ハーマン(英 : Henry John Harman )はネム・シン(Nem Singh)とキントゥプ (英語版 ) に峡谷を探検させた。1884年キントゥプはペマコチュン(Pemako Chung )まで到達後、ツアンポー川がアッサムに流れこむことを証明するために印をつけた500本の丸太を川に流したが、ハーマンは病気のためインドを去っており、流された丸太を発見し証明することはできなかった。
キントゥプの報告書には45mの大滝があるとの記述があったが、キントゥプは文字が書けず、口話での報告を書類にまとめる際に誤って解釈されたものだった。ツアンポー渓谷の標高とアッサムの標高との比較からすればこの間に1000m以上も標高を落としており滝があっても不思議はないと思われた。ここからツアンポー峡谷の大滝の伝説が生まれた。
1913年 フレデリック・M・ベイリー (英語版 ) の探検によりツアンポー川がアッサムに流れ込みブラマプトラ川となることを証明した。
1924年 フランク・キングドン=ウォード (英語版 ) (英 : Frank Kingdon-Ward )[ 1] 、コーダー卿 (英語版 ) [ 2] が峡谷の無人地帯を突破しふたつの滝を発見。峡谷の残りの空白部は5マイルであると報告した。空白地帯の上流部に虹の滝、下流部にプラマプトラの滝を報告。
1993年 イアン・ベイカー(英 : Ian Baker )がキングドン=ウォード以来となる無人地帯の踏破に成功した。同年ブリーシヤーズが空白地帯上流部の虹の滝からすぐ先に新たに幻の滝を発見。
2002年 角幡唯介 が未踏査部を探検。新たに未知の滝と巨大洞穴を発見した[ 3] 。
水利権をめぐる争い
2013年、上流側の中国ではダムを3基設置することを発表。これに対して下流のインド側メディアは、流量の減少といった懸念を表明している[ 4] 。
注釈・出典
関連項目
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