フレデリクスボー城
地図
大ホール(Riddersalen)
フレデリクスボー城 (デンマーク語 : Frederiksborg Slot )は、デンマーク のヒレレズ にある城。クリスチャン4世 の居城として建築され、現在は国立歴史博物館となっている。フレゼリクスボー城 とも。元の城はフレゼリク2世 により建設されており、現在の城はスカンディナヴィア で最も大きなルネサンス様式 の宮殿となっている。宮殿はパラス湖(デンマーク語 : Slotsø)に浮かぶ3つの小島の上に位置しており、バロック 様式の大きな庭園に隣接している[ 1] 。
歴史
ラザラス・バラッタによるフレデリスクボー城(1652年)
城 の最も古い部分は1560年のもので、フレゼリク2世 により建築された。フレデリクスボー城 の名は、ここに由来する。しかし現在の宮殿の大部分は、1602年から1620年にかけてクリスチャン4世 がオランダ人建築家ハンス・ファン・シュテーヴィンケルとロレンツ・ファン・シュテーヴィンケルに命じて作らせたものである。このオランダ様式が気に入ったクリスチャン4世は、コペンハーゲン 内に建築した新しい建物にも、この様式を取り入れた。1648年にクリスチャン4世が死去すると、宮殿は主に公式行事に使用されるようになり、特に絶対王政 下、宮殿の教会で聖別 式や戴冠式 が行われていた。
ここで戴冠したデンマークの王と王妃は以下のとおりである。
1693年より、デンマーク最高勲章 とダネブロー騎士称号 授与の際、騎士の教会として使用される。
宮殿はまた、国王一家が集めた芸術コレクションの保管庫としても使用され、結果的に、国家的記念館として尊重されるようになった。1720年、フレデリクスボー条約 がここで締結されている。1850年代には、宮殿は再びフレデリク7世 の居城として使用されるようになった。1859年12月16日から17日にかけての夜、王が宮殿に滞在中に火事が発生、宮殿中心部の内装のほとんどが焼失した。
再建のための募金が行われ、国王や州も多額の献金を行った。
著名な慈善家 でカールスバーグ ・ブルワリー のJ.C.ヤコブセン もまた資金を提供し、現在フレデリクスボー城内部を占める国立歴史博物館の設立に大きな役割を果たした[1] 。
デンマークの画家カール・ハインリッヒ・ブロッホ による膨大な名画コレクションが、宮殿内に保管されている。
宮殿に委任されたこれらの絵の多くは、イエス・キリスト の生涯を題材としたものである。
ヨアキム王子 とアレクサンドラ・マンリー が結婚式を挙げたのも、この宮殿内の教会だった。
宮殿内の教会
教会は別名「勲位のチャペル」[ 2] として知られ、今日では地元の教会として用いられており、国立歴史博物館の一部ともなっている。
デンマーク王室勲章 の紋章 、「デンマーク最高勲章(象の紋章)」と「ダネブロー騎士勲章」が、教会の壁に掲げられている。
国立歴史博物館
国立歴史博物館には、肖像 画と歴史画の重要なコレクションが納められている。
フレデリクスボー女伯
アレクサンドラ・クリスティーナ の爵位「フレゼリクスボー女伯 」(Grevinde af Frederiksborg)は、ヨアキム王子 との結婚式が、フレデリクスボー城内の教会で執り行われたことを示している。この爵位はアレクサンドラとヨアキムが正式に離婚した8日後、2005年の4月16日に彼女に授けられた。
ギャラリー
脚注
^ 『ことりっぷ海外版 北欧』昭文社 、2015年、51頁。ISBN 978-4-398-15460-6 。
^ 「爵位のチャペル」とも訳され、高い天井と豪華な内装が有名で今も結婚式として使われ、ヨアキム (デンマーク王子) もここで挙式した(『世界でいちばん美しい城、荘厳なる教会』(エムディエヌコーポレーション 2013年pp .8-13)
外部リンク
座標 : 北緯55度56分06秒 東経12度18分03秒 / 北緯55.93500度 東経12.30083度 / 55.93500; 12.30083