フリント島は、1521年2月4日にフェルディナンド・マゼランによる世界一周の中で発見された。この時に島は、ティブロネス島(スペイン語: Tiburones、サメの意)と記された。これは、島の周辺で多数のサメが釣られたことによる。また、同じく発見されたトゥアモトゥ諸島のプカ=プカ環礁(英語版)[注釈 1](当時は、サン・パオロ島(スペイン語: San Paolo)と記録)と共に、インフォルトゥナダス諸島(スペイン語: Islas Infortunadas、不幸諸島の意)と名付けられた[2]。現在では疑義が持たれている説によれば、1835年に島を訪れたキーン船長に因んで名づけられたとされている。しかしながら、1819年に刊行されたアーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンによる『Hydrographie der grössern Ozeane』において、この島がすでにフリント島という名を持っていたのは明らかである。1856年に成立したグアノ島法においてアメリカ合衆国が領有を主張したが、実際に占領行為が行われることはなかった。
Krusenstern, A. J. von: Beyträge zur Hydrographie der grössern Ozeane als Erläuterungen zu einer Charte des ganzen Erdkreises nach Mercators Projection; Leipzig : Kummer, 1819 (from the digital collections of the Göttingen Library) (p. 208)[1]