アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン、イヴァン・フョードロヴィチ・クルゼンシュテールン(ドイツ語: Adam Johann von Krusenstern、ロシア語: Иван Фёдорович Крузенштерн[1]、1770年11月19日 - 1846年8月24日)は、エストニア出身のロシア海軍提督であり探検家。ロシアで最初に世界周航(1803年 - 1806年)を行った。彼はこの航海で「日本海」を通り、後に彼が作成した地図には「日本海」を "MER DU JAPON" と記したとされ、「日本海」を最初に命名した人物として日本の百科事典類には記されている。
喜望峰経由で1806年8月に母港クロンシュタットに戻ったクルーゼンシュテルンは詳細な航海記"Reise um die Welt in den Jahren 1803, 1804, 1805 und 1806 auf Befehl Seiner Kaiserliche Majestät Alexanders des Ersten auf den Schiffen Nadeschda und Newa"(『アレクサンドル1世陛下の命令下、1803年、1804年、1805年、1806年にナジェージタとネヴァにより行った世界周航の記録』)を書き、1810年にサンクトペテルブルクで出版した。1811年 - 1812年にはベルリンで出版し、1813年には英訳版がロンドンで出版された。またフランス語、デンマーク語、オランダ語、スウェーデン語、イタリア語でも出版された。太平洋の地図などを含む図録は1827年にサンクトペテルブルクで出版され、ロシア科学アカデミー会員に迎え入れられる栄誉を得た。彼は1816年にエストニアのキルツィにある荘園を得たが、この荘園で1846年に没した。
スイス 生まれのドイツ文学の著名な学者にして作家のアドルフ・ムシュク (1934年生まれ)は、2012年に長篇小説『レーヴェンシュテルン』(Löwenstern)を発表した。この作品の主人公ヘルマン・ルートヴィヒ・フォン・レーヴェンシュテルン(Hermann Ludwig von Löwenstern; 1777-1836)は、エストニア人で、同郷のロシア海軍提督クルーゼンシュテルンが成し遂げたロシア最初の世界周航に参加した人物である。この小説の中で、レーヴェンシュテルンはこの世界周航について、代父宛の書簡の形で報告している[3] 。