ビー玉(ビーだま)は、玩具の一種。ガラス製の球で、主に遊戯用・観賞用に用いる。通常のサイズは1.5 - 5センチメートル程度。単色のものや、中に模様の入ったもの、大きい玉、小さい玉といろいろな種類がある。無色透明のものもある。ガラスの他に粘土、鋼、プラスチック、またはメノウで作られるものもある。
1897年頃に日本で販売された炭酸飲料(ラムネ)の栓として使われていたガラス玉を取り出し、玩具として使われ出したのがビー玉遊びの普及の始まりである[1]。初期のビー玉は、クレーターのような大きなくぼみや歪みがあるなど、形がいびつなものが多かった[2]。
1933年頃に駄菓子屋等でビー玉単体が商品として販売され始めた。朝鮮半島でも日本統治時代の1936年頃から売られるようになり、ビー玉遊びが普及した[1]。1970年代以前に生まれた年代ではビー玉遊びをしたことのない者はいないほど普及した遊びである。[要出典]
ビー玉の「ビー」はビードロ(vidro、ポルトガル語でガラスのこと)の略である[3][4][5][6][7][8][9][10][11]。
古くは「ビードロ玉」もしくは「ビイドロ玉」と呼ばれており、明治時代から大正時代にかけて用例がみられるほか[12][13]、戦後においても「ビー玉」ではなく「ビードロ玉」と呼称している例がみられる[14]。略称である「ビー玉」の古い用例としては、大正5年(1916年)に執筆された夏目漱石の『明暗』[15]や大正9年(1920年)に執筆された有島武郎の『一房の葡萄』[16]がある。
フランス語ではbille(ビイ)と言う(ビリヤードやルーレットの球もbille)。
ラムネビンの栓として使用するガラス玉の等級をかつて「A玉・B玉」と呼んで区別し、このうち規格外品である「B玉」をおもちゃに転用したものという説も存在する[17][18][19]。ただしこの説は1990年以降の書籍にしか見当たらず疑わしいとの指摘がある[20]。
2017年現在日本で唯一のビー玉製造会社である松野工業によれば、戦後大阪でビー玉を製造していた6、7軒の会社のうちどこかが「A玉・B玉」の等級で区分していたという話を聞き、そこから松野工業でも「ビー玉」と呼ぶようになったという[18]。
一方、ラムネメーカーの倉敷鉱泉は、玉に多少のゆがみ・傷があってもビンの口ゴムで問題なく密閉されること、明治から昭和初期の技術で検品は難しいであろうことから「A玉・B玉」の等級の存在自体に否定的な立場を取っている[18]。
ビー玉遊びには地方によって様々なルールがあるが、その基本ルールは、ビー玉の所有権のやりとりである。多くの場合、自分のビー玉を弾いて相手のビー玉にぶつけて遊ぶが、ぶつけることによって玉の所有権の移転が発生し、ぶつけられた玉はぶつけた者の所有となる。つまり、Aが自身の所有する玉aを、Bの所有する玉bにぶつけた場合、ぶつけられた玉bの所有権は、BからAに移転する。玉を取られた方は、新たな玉を出して再戦に臨む。これを繰り返して、時にBが勝ち、時にAが勝って、玉のやりとりが行われる。このやりとりにさらに数人が加わることも可能で、4〜5人で遊ぶ場合も多い。また、単にぶつけることだけを目的とし、所有権の移転が発生しない取り決めのもとに遊ぶ場合もある。
近畿地方の一部地域では、「ビーダン」はビー玉そのものを指す呼称であると同時に、ビー玉を使った屋外遊戯の総称でもあった。厳格なルールのもと数段の手順を踏み、最終的にはビー玉のやりとりを目的とした。以下にそのルールを説明する(このルールはかつて近畿地方の一部で遊ばれていたルールであり、あくまで参考資料として記述する。地方・時代により、この遊びそのものの名称・ルール細目・使用される用語等には小異がある[21][注 1])。
2016年にガンビアで行われた大統領選挙では、政党名などが書かれたドラム缶にビー玉を落とす方法で投票が行われた[23]。