ハンプトン・ランスデン・ファンチャー(Hampton Lansden Fancher、1938年7月18日 - )は、アメリカ合衆国の脚本家、映画プロデューサー。
私生活とキャリア
カリフォルニア州イーストロサンゼルスでメキシコ・デンマーク系の母親[1]とアメリカ人医師の父親のもとに生まれる[2]。15歳の時にスペインに行ってフラメンコのダンサーとなり、「Mario Montejo」と改名した。1953年から1963年のあいだにジョアン・マクナッブ、1963年から1965年のあいだに『ロリータ』に出演したスー・リオンと結婚したが、いずれも離婚している[3]。
1950年代後半より俳優としての活動を開始し、多くのテレビドラマに出演する。その後彼は脚本業に興味を抱くが、完全に転身したのは1977年のことであった[4]。
1975年、フィリップ・K・ディックの1968年のSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の権利獲得に失敗すると、ファンチャーは友人のブライアン・ケリーを送った。ディックの了承を得るとファンチャーはケリーがプロデューサーのマイケル・ディーリー(英語版)の支援を得る前に脚本を書き上げた[5]。これによりファンチャーは製作総指揮も兼任したが、最終的に監督のリドリー・スコットとの意見の相違から途中降板し、代わりに起用されたデヴィッド・ピープルズが脚本を改訂した。スコットはファンチャーによる初期案が映画の世界を充分に掘り下げておらず、内面のドラマに集中する道を選んでいると感じていた。またファンチャーは執筆作業が遅すぎたことからスタッフから「Happen Faster」というニックネームで呼ばれていた[6]。完成した映画『ブレードランナー』は1982年に公開された[7]。
『ブレードランナー』の後、ファンチャーはデンゼル・ワシントン主演の『刑事クイン/妖術師の島』(1989年)とオーウェン・ウィルソン主演の『クアドロフォニア -多重人格殺人-(英語版)』を執筆した。また『クアドロフォニア』では監督も兼任した[8]。
2017年には『ブレードランナー』の35年ぶり続編となる『ブレードランナー 2049』で原案・脚本を務めた。
主なフィルモグラフィ
参考文献
外部リンク