ハリー・クラドック

ハリー・クラドックHarry Craddock1876年8月29日[1]-1963年1月25日[2])は、イギリス人バーテンダーロンドンサヴォイ・ホテルでチーフ・バーテンダーを務めた。1930年には『サヴォイ・カクテルブック』を編纂した。

経歴

1876年8月29日にイギリスグロスタシャーストラウド英語版ので産まれる[3]。両親は仕立て屋織物職人であった[4]

22歳の時に客船テュートニックに乗ってアメリカ合衆国に渡り、クリーブランドシカゴニューヨークでバーテンダーの修業を積んだ[4]。クラドックは求められると、大都市だけでなくリゾート地のホテルにも赴いた[4]。1908年から4年間は、当時はイギリス領だったバハマナッソーのコロニアル・ホテルで働いている[4]。クラドックがバーの仕事を選択した動機は不明であるが、アメリカ合衆国時代は飲食業に携わっている[4]

1916年9月にはアメリカ合衆国国籍を申請し、認可されている[4]。イギリス国籍も保持したままの二重国籍であったが、これは当時は珍しいことではなかった[4]。1917年に第一次世界大戦にアメリカ合衆国が参戦を表明した際には、自ら徴兵に志願している[4]。1917年6月、アイルランド出身のアニー・フィッツジェラルドと結婚する[4]。アニーは未亡人であり、13歳の娘ルイーズ・エミリーがいたが、結婚当時はアイルランドに住むアニーの姉の家に預けられていた[4]。1920年にはルイーズ・エミリーもクラドックらと一緒にマンハッタンに住むことになる[4]

アメリカ合衆国のいくつかのホテルに勤務していたが、禁酒法が制定された1920年にアメリカを離れ、イギリスのリヴァプールへと妻子と共に移り住んだ[3]。マンハッタンの賃貸住宅の契約は5年分を残したままで解約していなかった[4]。同年、サヴォイ・ホテルのアメリカン・バーで働き始める[5]。ニューヨークの賃貸住宅は後に、娘のルイーズ・エミリーが再びアメリカ合衆国に戻った際に住むことになった[4]

1930年にクラドックが編纂した『サヴォイ・カクテルブック』初版が発行された。初版には750種類のカクテルの名前、レシピが記されており、今日まで改版が続き、出版され続けている[6]。また、クラドックが創作したカクテルも多数あり、コープス・リバイバーNo.2、ホワイト・レディなどがある。

クラドックの人気は高く、1927年にはロンドンのマダム・タッソー館にクラドックの蝋人形が登場している[4]

1930年12月には、アメリカの現状視察と称してニューヨークに戻っているが、クラドックのカクテルを求めるサヴォイ・ホテルの顧客の要望もあって短期間で切り上げている[4]。1933年にアメリカの禁酒法は廃止され、アメリカ国内の複数の一流ホテルからバーテンダー復帰の申し出を受けるが、クラドックはこれを断っている[4]

1934年にはUK Bartenders Guildの設立に関与した。1939年、サヴォイ・ホテルを辞め、ザ・ドーチェスター英語版へ移籍し[4]、その後、ブラウンズ・ホテル(Browns Hotelに移り、1947年に引退した[4][6]

引退後、自身の経歴についてはほとんどメディアで語ることはなかったが、1960年の85歳の誕生日に際して記者のインタビューに応じ、1930年代にバッキンガム宮殿に招かれて、当時のイギリス国王ジョージ5世や後に国王となるジョージ6世らにカクテルを作った思い出などを語っている[4]

1963年に脳溢血のためロンドン郊外の老人ホームで死亡[4]。共同墓地に葬られた[2]

クラドック自身が私生活を語る人ではなく、妻アニーとの夫婦関係や結婚後の暮らしぶりについては、記録や証言がほとんど残っていないために不明[4]。アニーとの間に子どもは授かっていない[4]。義理の娘ルイーズ・エミリーは結婚後、アイルランドのコークで暮らし、1993年に89歳で亡くなった[4]

2013年にクラドックとハリー・ジョンソン (バーテンダー)英語版伝記『The DEANS Of DRINK』(Jared McDaniel Brown、 Anistatia Renard Miller共著、ISBN 978-1907434396)が刊行された[4]

創作カクテル

クラドックが創作したとされるカクテルを以下に挙げる。

参考書籍

  • Williams, Olivia (2014). Gin Glorious Gin:How Mother's Ruin Became the Spirit of London. London: Headline Publishing Group. ISBN 978-1-4722-1534-5 

出典

  1. ^ Meetings with Legendary Scotch Drinks, Episode 6, Harry Craddock”. liquor.com. 2019年3月4日閲覧。
  2. ^ a b ERIK.ELLESTAD (2013年2月13日). “Memorial Service at Harry Craddock's graveside”. 2019年3月4日閲覧。
  3. ^ a b Williams 2014, p. 199.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 荒川英二 (2024年3月9日). “カクテル・ヒストリア第28回『もし、クラドックが米国に居続けていたら……』”. LIQUIL. 2024年10月4日閲覧。
  5. ^ Lascelles, Alice. “Being Harry Craddock”. Punch. 2019年3月4日閲覧。
  6. ^ a b Davies, Richard. “The Coolest Book in the World”. AbeBooks.com. 2019年3月4日閲覧。
  7. ^ 『カクテルの図鑑』マイナビ出版、2013年、109頁。ISBN 9784839946234 
  8. ^ 『カクテルをたしなむ人のレッスン&400レシピ』日本文芸社、2021年、219頁。ISBN 978-4537218695 

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