ニック・メイスン (Nick Mason 、CBE 、1944年 1月27日 - )は、イングランド 出身のロック ミュージシャン 、ドラマー 、音楽プロデューサー 。
同国のプログレッシブ・ロック ・バンド 「ピンク・フロイド 」の創設メンバー。2019年 、大英帝国勲章 (CBE)を叙勲。
ローリングストーン 誌選出「歴史上最も偉大な100人のドラマー」第51位。
(※ニック・メイソンとの表記もあり。ピンク・フロイドにおける経歴は「ピンク・フロイド 」の項を参照)
略歴
ピンク・フロイド創設メンバー
ピンク・フロイド(1970年)
バーミンガム の比較的裕福な家庭に生まれる。父はドキュメンタリー映画 の演出家 で、母はクラシックのピアニスト だった。音楽的にも恵まれた環境で過ごしている。
リージェント・ストリート・ポリテクニック(現ウェストミンスター大学)に進学し、ロジャー・ウォーターズ とリチャード・ライト の2人と出会う。その後、「ピンク・フロイド 」の母体となるバンドを結成する。
ピンク・フロイドとしてメジャー・デビューしてからは、他のメンバーに先駆けてソロとしての活動を始めている。幅広い音楽業界の交友関係を生かし、多くのミュージシャンのレコーディング やツアーに参加している。ダムド やロバート・ワイアット 、ゴング 、スティーヴ・ヒレッジ 、マイケル・マントラー などの作品に携わってきた。ドラマーとしての参加はもちろん、プロデューサー やレコーディング・エンジニア としての活動も行っている。
また、1981年 に『空想感覚』、1985年 に『プロファイルス - ピンクの進化論』(元10cc のリック・フェン との共作)という2枚のソロ・アルバムを発表している。ニック・メイスン名義ではあるが、前者はフリー・ジャズ ・ピアニストのカーラ・ブレイ のアルバムのセッション・ミュージシャン的位置付けが強い。
ウォーターズとデヴィッド・ギルモア の対立により、フロイドの活動に亀裂が入ってからも、中立的な立場を採っている。1980年代 以降の2人のソロ・ツアーに顔を出すなど、どちらとも良好な関係を維持している[ 1] 。
メンバーとの交流
1984年 4月28日 - 30日、ギルモアのツアー中に行われたロンドン・ハマースミス・オデオン3夜連続公演にゲスト参加する。この模様はVHS 『David Gilmour』(未DVD化・国内版未発表)に収録された。
2002年 6月26日 - 27日のロジャー・ウォーターズ のツアー中に行われたロンドン・ウエンブリー・アリーナ公演に飛び入りして、他のピンク・フロイドのメンバーより一足早く、公に和解する。
2006年 5月31日、ギルモアのロンドン 公演にゲスト出演していることも確認されている。このツアーにはライトも参加していたため、1980年代 後期以降のフロイド・メンバー3人が揃ったことになる。
ウォーターズのツアーで客演 (2007年)
同年、ピンク・フロイドのアルバム『狂気 』の完全再現で話題になったウォーターズのツアーに、スペシャル・ゲストとして6月12日、29日、7月1日、12日、14日、9月12日、13日、10月5日、6日、8日に登場する。また、2007年 のツアーには5月12日のみ参加した。
これらのゲスト参加について、メイスンはインタビューで「ギルモア側、ロジャー側、どちらで演奏しても何か欠けている」と発言している。
現在では執筆家としても活動しており、2004年 にはメンバー自身による初のピンク・フロイドの伝記本『Inside Out』が著されている。また、米タイム誌 には、2006年7月に死去したシド・バレット への追悼文や車に関する記事を寄稿している。
2011年 5月、ギルモアと共にウォーターズのソロ・ツアー「The Wall Live」の、O2アリーナ 公演にて客演[ 2] 。
2012年 に開催されたロンドンオリンピック の閉会式に出演し、ピンク・フロイドの曲「あなたがここにいてほしい 」の演奏にドラマーとして参加した(他のメンバーは不参加)。
ピンク・フロイド活動停止 - 以降
2014年 、所属するピンク・フロイドが、20年ぶりのオリジナルアルバム発表したのを最後に活動停止[ 3] 。
2018年 、初期のピンク・フロイド曲を演奏するトリビュートバンド 「ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツ (Nick Mason’s Saucerful of Secrets)」を結成し、ワールドツアーを開始[ 4] 。
2019年 、大英帝国勲章 (CBE)を叙勲[ 5] 。
音楽的特徴
2018年
映像作品『ライヴ・アット・ポンペイ 』など比較的初期のライブ映像では、かなりパワフルで激しいドラミングを観ることができる。ちなみに、この映像で「吹けよ風、呼べよ嵐 」を演奏している際、激しいパフォーマンスのあまりドラムスティックが手からすっぽ抜けてしまう場面がある。しかし次の瞬間、すぐさま足元からスペアのスティックを取り出し、何事もなかったかのように演奏を続けている。
左利きで右利き用セットを使用しているため、フィル・インのほとんどが左手からはじまり独特のフレーズとタイム感を持っている。ビートルズ のリンゴ・スター 、チープ・トリック のバン・E・カルロスなどと同じ。
またピンク・フロイドのサウンドの特徴と言えるSE(効果音)も、メイスンが中心となって作成していた。特に録音したテープを切り取り繋ぎ合わせていく「テープ・コラージュ」が得意だった。ロジャー・ウォーターズは「ピンク・フロイドに新しいテクノロジーを持ち込むのは、いつもニックだった」と振り返っている。
エピソード
『グッドウッドFOS 』に出場(2008年)
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
『空想感覚』 - Nick Mason's Fictitious Sports (1981年)
『プロファイルス - ピンクの進化論』 - Profiles (1985年) ※元10ccのリック・フェンとの共作名義
ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツ
『ライヴ・アット・ザ・ラウンドハウス』 - Live At The Roundhouse (2020年)
プロデュース作品
ゴング
スティーヴ・ヒレッジ
『グリーン 』 - Green (1978年)
「ゲッティング・ベター」 - Getting Better (1978年) ※シングル
ダムド
プリンシパル・エドワーズ・マジック・シアター (英語版 )
The Asmoto Running Band (1971年)
ロバート・ワイアット
『ロック・ボトム』 - Rock Bottom (1974年)
『ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャード』 - Ruth Is Stranger Than Richard (1975年) ※1曲のみプロデュース
その他参加作品
マイケル・マントラー
The Hapless Child (1976年) ※ミキシング 、エンジニアリング、語りで参加。
Something There (1983年) ※演奏で参加。
Live (1987年) ※演奏で参加。
著書
ニック・メイスンの自叙伝 (個人的回顧録 )『インサイドアウト』は、2004年 9月30日 (※あるいは10月7日)、ロンドンに本社を置くオリオン出版グループ (Orion Publishing Group ) 傘下のワイデンフェルト&ニコルソン社 (Weidenfeld & Nicolson ) からハードカバー 仕様で刊行された。
カバーデザインはヒプノシス のストーム・ソーガソン が手掛けている。
OCLC 56943519 , ISBN 0-2978-4387-7 , ISBN 978-0-2978-4387-0 .
その後、少なくとも2つの異なるペーパーバック 版が刊行されている。Kindle 版は2011年9月1日に刊行。
Mason, Nick (2005) [07 October 2004]. Dodd, Philip. ed (English). Inside Out: A Personal History of Pink Floyd (Paperback ed.). London: Phoenix Books .
OCLC 871812814 , ISBN 0-7538-1906-6 , ISBN 978-0-7538-1906-7 .
Mason, Nick (17 March 2005) [07 October 2004]. Dodd, Philip. ed (English). Inside Out: A Personal History of Pink Floyd (First U.S. Printing edition (Paperback) ed.). San Francisco : Chronicle Books .
OCLC 156751431 , ASIN B000F5ZH4Y , ISBN 0811848248 , ISBN 9780811848244 .
Mason, Nick (01 September 2011) [07 October 2004]. Dodd, Philip. ed (English). Inside Out: A Personal History of Pink Floyd (Kindle ed.). London: Weidenfeld & Nicolson .
OCLC 1038438477 , ASIN B005GQ5HXS , ISBN 1-4746-0648-2 , ISBN 978-1-4746-0648-6 .
レース戦績
ル・マン24時間レース
脚注
出典
外部リンク