ドッキリとは、バラエティ番組の内容のひとつ。番組進行を知らない、または虚偽の進行だけ知らされている出演者を騙したりイタズラを仕掛けたりして、出演者の反応を楽しむという手法。また、個人間でのイタズラなどもドッキリということがある。
語源は「ドッキリする」という心臓の鼓動が高まるほど驚く様子を表す言葉である(元祖どっきりカメラの影響 : #歴史節参照)。最後にネタばらしを行うが、ネタばらしは仕掛け人と呼ばれる進行役が「(ドッキリ)大成功」「テッテレー」などと書かれたプラカードを持って登場する方式が多い。
1969年に日本テレビで放送された番組「なんでもやりまショー」の1コーナー「どっきりカメラ」が日本における元祖といわれる[1]。その後、同コーナーは「元祖どっきりカメラ」として独立した番組となり人気を博す。同番組終了後は単発番組あるいはレギュラー番組内の単発企画として他局の番組でも頻繁に放送されるようになり、さまざまなドッキリの手法が考案された。ドッキリの普及によって近年は芸能人(特にお笑いタレント)側がドッキリに対して耐性があり状況を察して警戒してしまう傾向にあるため、ドッキリは逆ドッキリや数週間や数か月と長期に渡って仕掛ける方式が増加している。
かつては一般人をターゲットにしたドッキリ番組もあったが、手法によっては自身のPRになる芸能人と異なり、一般人はターゲットにされれば一方的に自分の恥を晒され、視聴者の笑い者にされる結果になるため、その場でターゲットを激怒させ、仕掛け人が殴打されるなど予想外の報復を受けたケースもある。ターゲットが暴力団関係者だった場合は身体・生命が危険に晒されるトラブルに発展する恐れがあり、警察関係者だった場合は公務執行妨害などで検挙の対象となる恐れがある[2]。また、大御所芸能人をターゲットにした結果、その大御所芸能人の心情を著しく害し、芸能界を強制的に引退(事実上の永久追放)に追い込まれた例もある[要出典]。
また、ターゲットの心情を著しく害した場合、名誉毀損罪や侮辱罪などで告訴され刑事事件になったり、損害賠償請求訴訟を起こされる恐れもある[3]。また、放送倫理の厳格化が進み、放送局や番組の運営上も世論による厳しい非難が予想され、番組の打ち切りや放送局経営陣が辞任または解任に追い込まれる危険性が予想されることから、一般人に対してはインタビュードッキリを除き、行われるケースは稀となった[3]。
芸能人を相手にしたドッキリ企画にしても、これがきっかけとなって仕掛けられた人物と企画を受けた所属事務所の関係が悪化してしまうケースもあるなど、芸能事務所側にとってのリスクも小さくないことから、事務所側もこの種の企画に対して消極的になり、結果として、一部のお笑いタレントを例外とすれば行われることは少なくなっている。また、現在では行われるものにしてもお笑いバラエティ番組が中心であり、ターゲットもお笑いタレントやバラエティで自らが笑いの対象にされることを許容している芸能人が大半であるため、果たしてターゲットを本気で驚かせるドッキリの企画なのか、それともドッキリ番組の体裁を利用したパロディとして脚本の下で制作されている計算づくの企画なのか、判別の付かない様な内容のものも多い。さらに言えば、ターゲットとしていわゆるリアクション芸人ばかりを並べるなど、ドッキリの体裁を利用して芸人のリアクションで笑わせるパロディであることを事実上最初から明示しているような企画も珍しくない。
ドッキリ企画は上述のような事実上のやらせで行なわれるものを除き、ほぼ例外なくターゲットとなる人物(一般人・芸能人を問わず)にとって不快な思いをさせかねないため、この手のジャンルそのものに嫌悪感を持つ人はかなりおり、批判的な見解を示す意見が根強い[4]。近年ではターゲットの憧れのアスリートや大好きな芸能人が突然現れる、思わぬところからターゲットの大好物が出てくるなど、ドッキリ手段のポジティブ化のような見直しも行われている。
なお、ドッキリ番組によっては「この番組は専門家の指導のもとに作られています。絶対にマネをしないでください。」などと注意文が書かれることもある[5]。
日本国外でもヨーロッパやカナダなどで一般人や有名人をターゲットにしたドッキリ番組が放送されており、日本でも「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)などにおいてこれらの番組が放送されている。
一般人をひっかけるさまを隠しカメラなどで描く番組の始まりは、1948年8月10日にアメリカのABCテレビで放送開始された『キャンディード・カメラ(英語版)』(Candid Camera)にさかのぼる[6]。プロデューサーのアレン・フント(Allen Funt)は同様のコンセプトのラジオ番組『キャンディード・マイクロフォン』(The Candid Microphone)を1947年6月28日よりABCラジオで始めており、映画化の後、テレビに進出した。『キャンディード・カメラ』は放送局を替えたり他の番組のワンコーナーになったりを繰り返しながら1970年代末まで放送され、以後も断続的にスペシャル番組などの形で放送されている。
『キャンディード・カメラ』は1960年代のイギリスなどでも現地版が制作された。またアメリカでのドッキリ番組は1980年代末から他の制作者によっても企画されるようになり、2000年代にかけてさまざまなドッキリ番組が放送されている。
また、『ファニー・ピープル』(1976南アフリカ)のような映画版イタズラ・ドキュメントも存在する。日本でも劇場公開された。
金正男暗殺事件では、実行犯らは「日本のドッキリ番組の撮影であると騙されていた」と証言している[7]。
ドッキリの進行役となるはずの仕掛け人が逆にターゲットとなる出演者にだまされる、逆ドッキリという手法も存在する[12]。その経緯には、主に以下が挙げられる。
太字はドッキリに特化した番組。
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