ドイツ音楽著作権協会(ドイツおんがくちょさくけんきょうかい、ドイツ語: GEMA: Gesellschaft für musikalische Aufführungs- und mechanische Vervielfältigungsrechte; 英語: Society for musical performing and mechanical reproduction rights)は、ドイツに拠点を置き政府によって委任された著作権管理団体、演奏権管理団体で[1] 、事務局はベルリンとミュンヘンにある。GEMAは、その会員である作曲者、作詞者、そして出版者の音楽作品の著者の権利(英語版)(機械的使用許諾(英語版)、放送使用許諾(英語版)、シンクロ権(英語版)等)に由来する使用権を代表している。ドイツで唯一の団体で、BIEM(英語版)(録音権協会国際事務局)とCISAC(著作権協会国際連合)に加盟している。
1902年1月に施行された「文学及び音楽著作物の著者の権利に関する法律(ドイツ語: Gesetz betreffend das Urheberrecht an Werken der Literatur und der Tonkunst)」は、音楽作品を公開上演する際に作者の許諾が必要であると初めて規定した。
ドイツ作曲家協議会 (ドイツ語: Genossenschaft Deutscher Tonsetzer; GDT) は翌1903年に、音楽上演権協会 (ドイツ語: Anstalt für musikalische Aufführungsrechte; AFMA) を設立した。これは、作曲家と出版社の利害関係団体である中央協会をルーツに1851年著作権協会SACEM(英語版)を設立していたフランスよりは、遅いものだった。AFMA創設者の中には、リヒャルト・シュトラウス、ハンス・ゾンマー(英語版)そしてフリードリッヒ・レッシュがいた。GDTはエンゲルベルト・フンパーディンク、ゲオルク・シューマンそして最も有名なリヒャルト・シュトラウスといった当時の著名な作曲家が率いていた。
1909年、GDTはレコードの機械的複製権の利用を専門に扱う二つ目の組織、「機械的音楽権利研究所」(ドイツ語: Anstalt für mechanisch-musikalische Rechte GmbH; AMMRE) を設立した。
1913年、オーストリアの「作家作曲家音楽出版社協会」 (ドイツ語: Gesellschaft der Autoren, Komponisten und Musikverleger; AKM) がドイツの市場に参入し、ドイツ支所を開設した。
1915年、GDTから何人かのメンバーが脱退して、「GEMA」 (Genossenschaft zur Verwertung musikalischer Aufführungsrechte、現在のGEMAとは異なる)を設立した。創設者の一人は作曲家のレオン・イェッセルだった[4]。1916年、GEMAとAKMのドイツ支所は合併し、「ドイツ音楽上演権保護連盟」 (ドイツ語: Verband zum Schutze musikalischer Aufführungsrechte für Deutschland) を設立した。
この事態は第三帝国で「音楽上演権仲介に関する帝国法」 (ドイツ語: Reichsgesetz über die Vermittlung von Musikaufführungsrechten) によって終焉を迎えた。この法律の立案者はヨーゼフ・ゲッベルスで、全ての徴収団体を一列に並べ、独占的地位を与えるのが目的だった。
1933年–2000年
1933年9月28日、国家公認の「音楽上演権利用協会(ドイツ語: Staatlich genehmigte Gesellschaft zur Verwertung musikalischer Aufführungsrechte; STAGMA)」が「ドイツ音楽上演権保護連盟」から独立して設立され、音楽上演権を独占的に使用することになった。AMMREは1938年にSTAGMAに併合された。リヒャルト・シュトラウスが総裁を務めていた帝国音楽院は、「ドイツの音楽遺産を伝え管理するのに、アーリア人以外は相応しくない」というガイドラインを定めていた。これは帝国音楽院で活動をしていた約8,000人のユダヤ人に対する禁止措置だった。STAGMAはナチスの権力構造に深く取り込まれていて、STAGMAの主要メンバーはナチスに執着し自発的に参加していた。STAGMAのCEOはLeo Ritterで、GEMA創立時にも同じ地位にあり、ヒットラーの『我が闘争』を優秀な会員に配布する習慣があった[5]。
STAGMAは第二次世界大戦の後も事業を継続したが、1947年8月24日から名称はGEMA (Gesellschaft für musikalische Aufführungs- und mechanische Vervielfältigungsrechte) と変更された。エーリヒ・シュルツェ(ドイツ語版)が会長兼総監督を1947年から1989年まで務めたが、ミュンヘンのGEMA本部正面にあるエーリヒ・シュルツェ噴水は彼を顕彰したものである。1950年の始め、理事会長はヴェルナー・エックであった。シュルツェとエックは既にSTAGMAの主要ポジションにあった。アルブレヒト・デュムリング(英語版)の著作『音楽の持つ価値』(Musik hat ihren Wert、英語: Music has its Value)が、ドイツの最初の徴収団体の100周年記念に出版された。この本はナチス時代以後の徴収団体の役割に光を当てたものだった[6]。
1950年、ドイツ民主共和国 (GDR=東ドイツ) が成立しドイツが分断(通貨の分断の結果として)された後に、同様の事業体として東ドイツに「音楽分野の上演権と複製権保護研究所」 (ドイツ語: Anstalt zur Wahrung der Aufführungs- und Vervielfältigungsrechte auf dem Gebiet der Musik; AWA) が設立された。
スイス - SUISA: Schweizerische Gesellschaft für die Rechte der Urheber musikalischer Werke (英語: Swiss Society for the Rights of Authors of Musical Works).
2009年以来、GEMAは毎年ドイツ音楽作家賞(ドイツ語: Deutscher Musikautorenpreis)を授与している。「作家が賞賛する作家」というモットーで、ベルリンで開かれる授賞式には、音楽、文化、ビジネス、メディア、そして政治の各界から300人以上のゲストが招かれている。この賞では作曲家や作詞家に対して、その卓越した作品を評価している。賞には10の部門があり、音楽の様々なジャンルの作曲家、作詞家、プロデューサーたちからなる独立した選考委員により受賞者が選ばれる。「新進気鋭」部門の賞金は1万ユーロである。他の部門の受賞者には金銭ではない賞が授与される。
^Dümling, Albrecht (2003) (ドイツ語). Musik hat ihren Wert. 100 Jahre musikalische Verwertungsgesellschaft in Deutschland. Regensburg: ConBrio. pp. 262. ISBN3-932581-58-X
^Speech by the chair of the board of directors Prof. Dr. Reinhold Kreile about the 66th business year (1999), delivered to the general assembly of GEMA on 5 July 2000