セオドア・フルトン・“テッド”・スティーヴンス (英語 : Theodore Fulton "Ted" Stevens , 1923年 11月18日 - 2010年 8月9日 )は、アメリカ合衆国 の政治家 。元上院議員 (アラスカ州 選出、1968年 12月24日 - 2009年 1月3日 )。
生涯
幼年期
1942年のスティーブンス
1923年11月18日にインディアナ州 インディアナポリス の父方の祖父が建てた小さなコテージで、ジョージ・A・スティーヴンスとガードルード夫妻の間に4人兄弟の3番目として生まれた[ 1] [ 2] 。一家はシカゴ に転居した。当時父親は会計士であったが、1929年の大恐慌 で失業し[ 2] [ 3] 、スティーヴンスが6歳の時に両親は離婚した。スティーヴンスと3人の兄弟は父方の祖父母と共に暮らすため父親と共にインディアナポリスに戻ったが、父親が眼病に罹患し数年の内に失明した。スティーヴンスの母親はカリフォルニア州に転居し、兄弟を養ったが、スティーヴンスはインディアナポリスに留まって、父親と、一家と同居していた精神障害を持ついとこのパトリシア・アッカーを手助けした。家計を支える唯一の大人はスティーヴンスの祖父であった。スティーヴンスは新聞販売を行って一家を養うのを手伝った。彼は後年、1932年3月1日の新聞見出しがリンドバーグ誘拐 であったことを覚えていると語った[ 2] 。
1934年、スティーヴンスの祖父は階段から落下して肺に穴が開き、肺炎 のため死亡した[ 2] 。父親のジョージは1957年に肺がん のためオクラホマ州 タルサ で死去した[ 3] 。スティーヴンスといとこのパトリシアは、パトリシアの母親グラディス・スウィンデルズと同居するためにカリフォルニア州 マンハッタンビーチ に移った[ 2] 。スティーヴンスはレドンド・ユニオン高校 に通い、学内新聞の活動に加わり、演劇活動も行った。スティーヴンスはまた学校の前後に働いていたが[ 3] 、友人のラッセル・グリーン(シグナル・ガス・アンド・オイル社の社長の息子)とサーフィンを行う余裕もあった。グリーンはスティーヴンスの生涯を通じての親友であった[ 2] 。
軍歴
1943年のスティーブンス
1942年に高校を卒業すると、スティーヴンスはオレゴン州立大学 に進学し工学を学んだ[ 2] [ 4] 。第二次世界大戦 が拡大し、スティーヴンスは海軍 に入隊して飛行士になることを希望したが、視力検査の結果不合格となる。眼科医から視力矯正の訓練を処方され、1943年にモンタナ州立大学 で陸軍航空隊 士官候補生試験に合格した。飛行訓練の適性検査を上位で通過し[ 2] [ 4] 、スティーヴンスはカリフォルニア州 サンタアナ で飛行前訓練を受け、1944年に飛行士となる。
スティーヴンスは1944年から46年まで第14空軍 輸送部隊で、フライング・タイガース の支援業務に従事した。彼は同僚の飛行士と共にC-46 やC-47 を操縦し、しばしば護衛機無しでも飛行した[ 2] 。敵の背後を飛行した功績で殊勲飛行十字章 、航空メダル を受章、国民政府 からは雲麾勲章を受章した[ 2] [ 5] 。彼は1946年3月に陸軍航空隊を退役した[ 2] 。
政治経歴
1970年のスティーブンス
第108議会および第109議会において2003年 1月3日 から2007年 1月3日 までの間上院仮議長 を務めた。スティーヴンスの上院の在任期間は共和党 の上院議員としては最長(ストロム・サーモンド はより長く上院議員の任に在ったが、1964年までは民主党 所属)で、全体においても7番目の長さであった。スティーヴンスはその在任期間の10日を除くすべての間、アラスカ州の先任上院議員 であった。スティーヴンスが上院仮議長の座をロバート・バード に引き渡した際、バードの就いていた名誉職である名誉仮議長を引き継いだ。バードとその前のサーモンドに続く、3人目にして最後の名誉仮議長であった。
事故死
2010年8月9日、スティーヴンスは元NASA長官 ショーン・オキーフ を含む他の7人の乗客と共に、プライベートのフィッシング・ロッジに向かう途中、アラスカ州ディリンハム の約17マイル北方で航空機事故により死亡した[ 6] [ 7] 。スティーヴンスの友人デイヴ・ディットマンは、最初にスティーヴンスが事故死したと報告したが、後に「それは確認されていません」との声明をリリースした[ 8] 。後に事故死は家族からの声明で確認された[ 9] 。伝えられるところに寄ると、一行はアンカレッジ を拠点とするGCI 社所有の単発機DHC-3 オッター に搭乗していたという[ 10] 。スティーヴンスの死が確認されると、アラスカ州及び全国の政界人、そして多くのアラスカ人が「アンクル・テッド」の功績を称えた[ 11] [ 12] 。リーサ・マーカウスキー 上院議員は「彼の生涯の全ては、第二次世界大戦の飛行士から上院議員までの40年間、公共への奉仕に捧げられた。彼は本当に偉大な『偉大な世代』だった」と語った[ 13] 。マーク・ベイゲッジ 上院議員は「上院での40年に及ぶ公共への奉仕で、スティーヴンス上院議員は我々のアラスカ州が州昇格後、挑戦的な変革を援助した力強い主唱者だった」と語った[ 14] 。ジョージ・H・W・ブッシュ 元大統領 は「テッド・スティーヴンスは上院を愛していた。彼はアラスカを愛した。彼は家族を愛していた。そして、彼がいなくなることはとても寂しいだろう」という声明をリリースした[ 15] 。
数百人もの人々が2010年8月16日(月)にアンカレッジの聖家族大聖堂で行われた追悼ミサに集まった。火曜日、オール・セインツ聖公会教会に遺体が安置され、人々は追悼の意を表した。水曜日にアンカレッジ・バプテスト寺院において葬儀が行われ、約3,000名が出席した。参列者にはジョセフ・バイデン 副大統領 、前アラスカ州知事 サラ・ペイリン 、現知事のショーン・パーネル 、その他3名の元知事、11名の上院議員、9名の元上院議員、2名の下院議員、多くの連邦及び州高官、軍人及び海外からの要人が含まれた[ 16] [ 17] 。遺体は9月28日にアーリントン国立墓地 に埋葬された[ 18] 。
参照
^ Theodore Fulton "Ted" Stevens genealogy. Rootsweb.com. Retrieved on 2007-05-31.
^ a b c d e f g h i j k Whitney, David. (1994-08-08). "Formative years: Stevens' life wasn't easy growing up in the depression with a divided family." Anchorage Daily News . Retrieved 2007-06-01.
^ a b c Mitchell, Donald Craig. (2001). Take My Land, Take My Life: The Story of Congress's Historic Settlement of Alaska Native Land Claims, 1960–1971 . Fairbanks, AK: University of Alaska Press, p. 220.
^ a b Mitchell, 2001, p. 221.
^ "About the Committee: Vice Chairman" (biography of Ted Stevens). Archived 2010年2月2日, at the Wayback Machine . United States Senate Committee on Commerce, Science and Transportation. Retrieved on 2007-06-01.
^ “Stevens Family Offering Prayers ''APRN 8-10-10'' ”. Aprn.org. 2010年8月10日 閲覧。
^ “Bad weather hampers crash rescuers: Western Alaska ”. adn.com. 2010年8月10日 閲覧。
^ “Ex-Senator Stevens dies in Alaska plane crash” . Reuters . (2010年8月10日). http://www.reuters.com/article/idUSTRE6792MJ20100810
^ “Plane Crash in Alaska Kills Former Alaska Senator Ted Stevens” . Associated Press. (Aug 10 2010). http://www.chicagotribune.com/news/sns-ap-us-alaska-plane-crash,0,4949924.story
^ Bohrer, Becky. “Crews trying to reach downed plane near Dillingham: Alaska News” . Associated Press. オリジナル の2010年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100822093537/http://www.adn.com/2010/08/10/1403264/crews-trying-to-reach-downed-plane.html 2010年8月10日 閲覧。
^ “44 - Ted Stevens' death: Washington reacts” . Voices.washingtonpost.com. (2010年4月13日). http://voices.washingtonpost.com/44/2010/08/ted-stevens-dead-washington-re.html 2010年8月12日 閲覧。
^ “Our View: Sen. Ted Stevens: ADN Editorial ”. adn.com. 2011年6月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2010年8月12日 閲覧。
^ Murkowski: Alaska Loses Hero APRN 8-1-10
^ Begich: Stevens One of Alaska’s “Greatest Statesmen” APRN 8-10-10
^ President Bush: Stevens Loved Alaska APRN 8-10-10
^ [1] [リンク切れ ]
^ The Mudflats | Ted Stevens Memorial Brings Dignitaries to Alaska Archived 2010年8月21日, at the Wayback Machine .
^ Stevens to be Buried in Arlington Archived 2010年8月29日, at the Wayback Machine . Associated Press /Alaska Public Radio Network
関連項目
外部リンク