1930年時点のタウルス急行の経路図
タウルス急行 (フランス語 、英語 など : Taurus Express)あるいはトロス急行 (トルコ語 : Toros Ekspresi )は、トルコ のイスタンブール とシリア 、レバノン 、イラク などを結んでいた国際列車 である。
1930年 に国際寝台車会社 (ワゴン・リ社)による列車として運転を始めた。イスタンブールのハイダルパシャ駅 を起点とし、トロス(タウルス)山脈 を越え、アレッポ からシリア・レバノン方面とイラク方面に分岐した。イラク方面では1940年 にバグダード までの直通運転が実現した。さらに自動車 便や他の列車によりカイロ 、テヘラン 、バスラ などにも連絡した。イスタンブールでは対岸のシルケジ駅 に発着するシンプロン・オリエント急行 と接続しており、これによってヨーロッパ と中近東 を結ぶ役割を担っていた。
後にトロス急行はトルコ国内の列車となり、2008年 に一旦廃止されるものの、2012年 に復活した。2015年3月現在では、カラマン とアダナ の間の列車が「トロス急行」を名乗っており、2019年12月現在ではコンヤ とアダナ を結んでいる。
歴史
前史
タウルス山中の高架橋(1935年)
国際寝台車会社 (ワゴン・リ社)によりヨーロッパ と「オリエント 」を結ぶ列車として1883年 に運行の始まったオリエント急行 は、1888年 にパリ からイスタンブール までの直通運転が実現した。一方イスタンブールからアジア側では、ドイツ帝国 の主導によりバグダード鉄道 の建設が進められていた。第一次世界大戦 中、ドイツは運休となったオリエント急行に代わってバルカン列車 を創設し、ヨーロッパと中近東 を結ぼうとしたが、敗戦によりその目論見は途絶えた。戦後にはワゴン・リ社のシンプロン・オリエント急行がカレー およびパリとイスタンブールを結ぶようになった。
ワゴン・リ社がアナトリア での事業を始めたのはトルコ共和国 成立後の1924年 であり、この年にイスタンブールのハイダルパシャ駅 と新首都アンカラ の間で寝台車 の営業が始まった[ 1] [ 2] 。ワゴン・リの中近東での活動が本格化するのは1925年 にバーデン・バーデン で関係各国、鉄道事業者の会議が開かれた後である[ 3] [ 4] 。1926年 にはイスタンブールとアレッポ の間での寝台車の営業が行われた[ 2] 。また1927年 にはイスタンブール - アンカラ間にワゴン・リの寝台車専用の豪華列車 アナトリア急行(Anatolie Express)が生まれている[ 5] [ 6] 。同年にはワゴン・リ社により、イスタンブールのハイダルパシャ駅と対岸のシルケジ駅(シンプロン・オリエント急行などの発着駅)を結ぶボスポラス海峡 横断の連絡船の運行が始まった[ 7] 。
1928年 には、イスタンブールとトリポリ の間でも寝台車営業が始まった[ 2] 。ワゴン・リ社はこれに接続してトリポリからハイファ までの自動車 便を運行した。ハイファから先には標準軌 の鉄道があり、ワゴン・リの寝台車を連結した「カイロ急行」がスエズ運河 東岸のカンタラ・イースト(Kantara East)駅(またはエル・カンタラ)まで走っていた[ 注釈 1] 。スエズ運河を渡ると、さらにカイロ までの列車に乗り継ぐことができた。この列車にはワゴン・リのプルマン車(サロン車)が連結されていた[ 8] 。「ロンドン - カイロ間の直通列車」は、当時ワゴン・リ社の取締役会長だったイギリス人ダヴィソン・ダルジール (英語版 ) の悲願であった[ 1] [ 9] 。
なお1928年まで、トルコ政府がイスタンブール周辺での夜間の列車走行を禁止していた影響で、シンプロン・オリエント急行とアジア方面の列車を乗り継ぐにはイスタンブールで一泊する必要があった。この規制が撤廃されると、ヨーロッパから中近東への所要時間は大きく短縮された[ 10] 。
バグダード直通まで
タウルス急行とシンプロン・オリエント急行のポスター
「タウルス急行」と名付けられた列車の運転が始まったのは1930年 2月15日 である[ 10] 。この列車にはワゴン・リ社の寝台車と食堂車が連結されていた[ 6] 。
イスタンブール・ハイダルパシャ駅を起点とし、対岸のシルケジ駅 にシンプロン・オリエント急行が到着してから1時間半後に発車した[ 11] 。旧バグダード鉄道線(1927年に国有化されトルコ国鉄 の一部)を通り、コンヤ を経由してトロス(タウルス)山脈 を越え、キリキア のアダナ に至る。山中での最高地点では標高1468mに達している。さらに国境の741mの峠を越えてフランス委任統治領シリア に入り、アレッポ に至る[ 11] 。
アレッポ から列車は東と南の2つの経路に分岐した。東方面ではトルコ・シリア国境沿いのバグダード鉄道線を走り[ 11] 、トルコ領最後の町であるヌサイビン (トルコ語版 ) が終点となった。また列車の一部は支線上のマルディン へも直通した。ヌサイビンからはキルクーク まで自動車便により接続していた。キルクークは当時のイラクの狭軌 (1000mm軌間)鉄道網の北端であり、狭軌の列車によりバグダード やバスラ へと乗り継ぐことができた。また狭軌鉄道の支線はペルシア(イラン )国境近くのハーナキーンにも達しており、ここからテヘラン までの自動車便も存在した。当時のペルシアは外国企業に対して閉鎖的だったものの、ワゴン・リ社は粘り強い交渉の末に自動車便の運行とテヘランへの営業所開設を認められた[ 12] 。
南方面では、ホムス を経由しレバノンのリヤックが終点となった[ 2] 。リヤックは当時のレバノンにおける標準軌鉄道の南端であるとともに、ベイルート とダマスカス を結ぶ狭軌(1050mm軌間)鉄道の中間駅でもあり[ 13] 、狭軌列車に乗り継ぐことで両都市と連絡した。またハイファとも自動車便で結ばれており、前述の経路でカイロまで連絡した[ 2] 。
1930年時点では、イスタンブールからヌサイビンまで週2往復、マルディンまで1往復、リヤックまで3往復運転された[ 10] 。
1932年 には、タウルス急行からバスラを経由してインド ・ボンベイ(ムンバイ )への航路に連絡するようになった[ 14] 。
1933年 5月15日にはタウルス急行はトリポリにも直通するようになった[ 15] [ 2] 。
またこの年にはボスポラス海峡 での車両航送 により、ヨーロッパからアジアへの直通運転の研究が行われたが、実現には至らなかった[ 11] 。
1935年 、アンカラ とウルクシュラ (トルコ語版 ) を結ぶ鉄道が開通したことにより、トルコ国内での運行経路がアンカラ経由に変更された[ 8] [ 2] 。
東方面では1935年 にシリア・イラク国境のテル=コチェクまで[ 2] 、1939年 3月31日[ 注釈 2] にはモスル まで延長された[ 15] [ 2] 。
また、1936年 11月11日からは全鋼 製のSG型寝台車がタウルス急行で使用されるようになっている[ 15] 。1939年 には、イラク政府とワゴン・リ社の間で、イラクやイラン、インド方面とヨーロッパの間の郵便 をタウルス急行とシンプロン・オリエント急行で運ぶ契約が結ばれている。この郵便輸送は1972年 まで続いた[ 15] 。
そして1940年 7月17日 にイスタンブールからバグダード までの直通運転が実現した。この時点での所要時間は、イスタンブール・ハイダルパシャ駅からアレッポまで35時間、バグダードまで4日であり、乗り継ぎを含むとベイルートまで48時間、カイロまでは3日半、テヘランまで5日の行程であった。なおロンドン - カイロ間は7日間で結ばれた[ 15] 。
第二次大戦中・戦後
第二次世界大戦 が勃発すると、ヨーロッパでワゴン・リ社の運行していた豪華列車はほとんど運休となった。しかしトルコは中立であったため、タウルス急行は直接的には影響を受けなかった[ 17] 。なお混乱を避けるため、ドイツの外交官はアナトリア急行を、イギリスの外交官はタウルス急行を使うという暗黙のルールが存在した[ 8] [ 6] 。
レバノンからパレスチナ にかけての地域では、大戦中にイギリス軍 によってトリポリとベイルート 、ハイファを結ぶ標準軌鉄道が建設され、イスタンブールからカイロまでが鉄道でつながった[ 18] 。ただし、戦争中は軍事輸送が優先されたため、タウルス急行の延長はなかった[ 9] 。
1947年 にタウルス急行のレバノン方面の運転区間はベイルートまでとなった[ 2] 。しかし1948年 のイスラエル 建国と第一次中東戦争 のため、再び線路は分断され[ 注釈 3] [ 20] 、タウルス急行のカイロ直通は一度も実現しなかった[ 19] 。また1949年 から1959年 まで、アレッポ - ベイルート間は運休となっていた[ 16] 。
1954年 には、トロス急行(タウルス急行)にトルコ国内のイスタンブール - ガズィアンテプ 間を直通する客車が加わり、1956年 にはイスタンブール - イスケンデルン の系統も加わった[ 2] 。
1960年 にガズィアンテプからカルカミス (トルコ語版 ) [ 注釈 4] までの路線が開通し、イスタンブールからヌサイビンまでトルコ国内のみを通って行けるようになった[ 16] 。この時から、イスタンブール - バグダード系統のトロス急行の編成は途中で2つに分割され、一方はガズィアンテプ経由で、もう一方はシリアのアレッポを経由し、カルカミスで再度連結されてバグダードへ向かうようになった[ 9] [ 2] 。
ワゴン・リ社は第二次大戦後にはトルコでの営業を段階的に縮小していたが、1966年 に同社の豪華列車としてのタウルス急行は廃止され、一般列車であるトロス急行にワゴン・リの寝台車が連結されるという形式になった[ 21] 。なおこれ以前の1962年に、かつてタウルス急行と接続していたシンプロン・オリエント急行は廃止されている。1972年 には、ワゴン・リ社はトロス急行での寝台車営業から完全に撤退し、以後寝台車はトルコ国鉄の所属となった[ 2] 。
1967年 、バグダードからバスラまでの標準軌鉄道が開業した[ 22] 。1970年 にはトロス急行がバスラまで直通する予定と発表されたが、実現しなかった[ 2] 。
1970年代 末にはトロス急行のバグダードまでの運行は不安定になり、運休や大幅な遅延が相次いだ[ 2] 。1980年代 にはバグダード直通は廃止された[ 23] 。またレバノンでも内戦 のため鉄道は不通となった[ 24] 。1983年 の時点ではトロス急行はイスタンブール - ガズィアンテプ間のトルコ国内列車となり、これにアレッポまで直通する客車が連結されていた[ 2] 。1988年 には、アンカラ経由からコンヤ経由の旧経路に戻っている[ 2] 。
2001年 から、トロス急行にイスタンブール - ダマスカス 間を直通するシリア国鉄の寝台車が連結されるようになった。しかし、トーマスクック海外時刻表は2008年時点において、この寝台車は実際にはアレッポまでしか運行されていない模様であると記している[ 9] 。
2008年 6月、トルコ国内での改良工事のため、トロス急行はアレッポまでの直通寝台車とともに一旦廃止された[ 23] 。
2012年 8月16日から、トロス急行はエスキシェヒル - アダナ 間の列車として運転を再開した[ 25] 。2015年3月時点では、トロス急行はカラマン とアダナの間の列車として走っている[ 26] 。2019年12月現在ではコンヤとアダナを結んでいる。[ 27]
タウルス急行の登場する作品
アガサ・クリスティ は、中東を舞台とする作品でしばしばタウルス急行を登場させている。1934年 に発表された推理小説 「オリエント急行の殺人 (オリエント急行殺人事件)」は、エルキュール・ポアロ がアレッポ の駅でタウルス急行に乗車するシーンから始まる。同じ寝台車には2人のイギリス人が乗っており、1人はインド から帰国する軍人で、もう1人はバグダッド から帰国する女性であり、キルクーク 、モスル を経由してきたと話している。彼らはイスタンブールでシンプロン・オリエント急行に乗り継ぐ[ 28] [ 29] 。1944年に発表されたロマンチック・サスペンス「春にして君を離れ 」(設定年代は1930年代)は、バグダッドからイギリスに帰国する途上の主人公が、自動車連絡区間を越えてたどり着いたトルコ国境の駅の鉄道宿泊所(レストハウス)で立ち往生する。
脚注
注釈
^ 1942年にハイファ - カイロ間の直通が実現している[ 2] 。
^ モスルまでの延長を1939年1月13日とする資料もある[ 16] 。
^ 前年に橋に船の衝突する事故があり、カイロ急行は運休となっていた[ 19] 。
^ 古代のカルケミシュ
出典
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参考文献
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関連項目
外部リンク