|
ステファン・フース Stephen Huss |
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/85/Tennis_pictogram.svg/30px-Tennis_pictogram.svg.png) |
|
---|
基本情報 |
---|
国籍 |
オーストラリア |
---|
出身地 |
同・ベンディゴ |
---|
居住地 |
同・メルボルン |
---|
生年月日 |
(1975-12-10) 1975年12月10日(48歳) |
---|
身長 |
180cm |
---|
体重 |
74kg |
---|
利き手 |
右 |
---|
バックハンド |
片手打ち |
---|
ツアー経歴 |
---|
デビュー年 |
2000年 |
---|
引退年 |
2011年 |
---|
ツアー通算 |
4勝 |
---|
シングルス |
0勝 |
---|
ダブルス |
4勝 |
---|
生涯通算成績 |
126勝171敗 |
---|
シングルス |
0勝0敗 |
---|
ダブルス |
126勝171敗 |
---|
生涯獲得賞金 |
$1,010,831 |
---|
4大大会最高成績・ダブルス |
---|
全豪 |
2回戦(2005・07・09・10) |
---|
全仏 |
3回戦(2008・10・11) |
---|
全英 |
優勝(2005) |
---|
全米 |
1回戦(2002・05・06・08-11) |
---|
優勝回数 |
1(英1) |
---|
キャリア自己最高ランキング |
---|
シングルス |
807位(2001年3月19日) |
---|
ダブルス |
21位(2006年6月26日) |
---|
|
ステファン・フース(Stephen Huss, 1975年12月10日 - )は、オーストラリア・ビクトリア州ベンディゴ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルスでウェスリー・ムーディ(南アフリカ)とペアを組んで優勝した選手である。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、ATPツアーでは1度もシングルスへのエントリーがない。2005年ウィンブルドン選手権を含むダブルス4勝を挙げた。日本語では「ステファン・ハス」の表記も見られる。
来歴
フースは1990年代にスウェーデンテニス界を代表するトップ選手だったニクラス・クルティをいとこに持ち、両親ともスウェーデン人の家庭で、オーストラリア・ベンディゴの地に誕生した。彼は1996年から2000年までアメリカ合衆国アラバマ州オーバーン大学でスポーツ科学を学び、副専攻科目として心理学を履修しながら、学生テニス競技大会で93個のダブルス・タイトルを獲得した。大学卒業後の2000年にプロ転向。2002年4月のハサン2世グランプリでマイルズ・ウェイクフィールドと組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たす。
フースのテニス経歴のハイライトは2005年ウィンブルドン選手権男子ダブルス優勝である。フースはウェスリー・ムーディとペアを組んで予選を勝ち上がり、本戦2回戦でマヘシュ・ブパシ/トッド・ウッドブリッジ組を6-3, 7-6, 6-3のストレートで破って波に乗る。長年にわたってダブルスの王者として君臨したウッドブリッジは、この試合の敗戦を最後に現役を引退した。フースとムーディは、準々決勝でマーク・ノールズ/ミカエル・ロドラ組、準決勝でヨナス・ビョルクマン/マックス・ミルヌイ組と強豪ペアを連破し、決勝では第2シードのブライアン兄弟と対戦した。初の決勝で、伏兵のフース/ムーディ組はブライアン兄弟を7-6, 6-3, 6-7, 6-3で破って優勝した。予選勝者のウィンブルドン優勝は、選手権の歴史を通じて史上初の出来事であり、フースにとっては3年ぶりのATPツアーダブルス2勝目になった。しかし、フースとムーディは全米オープンで男子ダブルス1回戦敗退に終わった。
フースは日本のジャパン・オープン・テニス選手権に6度出場しており、2007年にこの大会で準優勝があった。パートナーはカナダのフランク・ダンチェビッチで、決勝でジョーダン・カー/ロベルト・リンドステット組に4-6, 4-6で敗れて優勝を逃した。2008年9月のチャイナ・オープンでロス・ハッチンスと組んで優勝し、2005年ウィンブルドン選手権以来のダブルス3勝目を獲得した。
2010年10月の南フランス・オープンでダブルス4勝目を挙げたのが最後の優勝になり、2011年10月に現役を引退した[1]。
フースは2009年12月29日にベネズエラのテニス選手であるミラグロス・セケラと結婚した。2011年に第1子の長女が誕生している。
ATPツアー決勝進出結果
ダブルス: 12回 (4勝8敗)
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
|
2002年4月14日
|
カサブランカ
|
クレー
|
マイルズ・ウェイクフィールド
|
マルティン・ガルシア
ルイス・ロボ
|
6–4, 6–2
|
優勝
|
2.
|
2005年7月3日
|
ウィンブルドン
|
芝
|
ウェスリー・ムーディ
|
ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
|
7–6(7–4), 6–3, 6–7(2–7), 6–3
|
準優勝
|
1.
|
2005年10月30日
|
バーゼル
|
カーペット (室内)
|
ウェスリー・ムーディ
|
アグスティン・カレリ
フェルナンド・ゴンサレス
|
5–7, 5–7
|
準優勝
|
2.
|
2007年2月4日
|
デルレイビーチ
|
ハード
|
ジェームス・オークランド
|
ヒューゴ・アーマンド
グザビエ・マリス
|
3–6, 7–6(7–4), [5–10]
|
準優勝
|
3.
|
2007年10月7日
|
東京
|
ハード
|
フランク・ダンチェビッチ
|
ジョーダン・カー
ロベルト・リンドステット
|
4–6, 4–6
|
優勝
|
3
|
2008年9月28日
|
北京
|
ハード
|
ロス・ハッチンス
|
アシュリー・フィッシャー
ボビー・レイノルズ
|
7–5, 6–4
|
準優勝
|
4.
|
2008年10月6日
|
モスクワ
|
カーペット (室内)
|
ロス・ハッチンス
|
セルジー・スタホフスキー ポティト・スタラーチェ
|
6–7(4–7), 6–2, [6–10]
|
準優勝
|
5.
|
2008年10月20日
|
リヨン
|
カーペット (室内)
|
ロス・ハッチンス
|
ミカエル・ロドラ アンディ・ラム
|
3–6, 7–5, [8–10]
|
準優勝
|
6.
|
2009年3月25日
|
マイアイ
|
ハード
|
アシュリー・フィッシャー
|
マックス・ミルヌイ アンディ・ラム
|
7–6(7–4), 2–6, [6–10]
|
準優勝
|
7.
|
2010年4月10日
|
ヒューストン
|
クレー
|
ウェスリー・ムーディ
|
ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
|
3–6, 5–7
|
優勝
|
4.
|
2010年10月31日
|
モンペリエ
|
ハード (室内)
|
ロス・ハッチンス
|
マルク・ロペス
エドゥアルド・シュワンク
|
6–2, 4–6, [10-8]
|
準優勝
|
8.
|
2011年1月15日
|
オークランド
|
ハード
|
ヨハン・ブルンストロム
|
マルセル・グラノジェルス トミー・ロブレド
|
4–6, 6–7(6–8)
|
脚注
外部リンク
![イギリスの旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg.png) ウィンブルドン(オープン化以後)男子ダブルス優勝者 |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|