ケンタッキー州に生まれたオズボーンは、当初は映画業界に進むことを希望しており、1980年代後半に地元を離れてニューヨーク大学の映画学校に入学した。しかし、ニューヨークでの学生生活は楽ではなく、高い学費や生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れ、そのために1学期間、丸々休学していたこともあった。ある日、同じアパートの友人と近所のブルースバーに出かけ、ビリー・ホリデイの「God Bless the Child」を飛び入りで歌ったところ好評を得たため、このバーに歌手として出演するようになった。これがミュージシャンとしてのキャリアのスタートであった。
当初はあくまで学費を貯めるための活動だったが、バーや他のクラブなどで歌いながら、そこで出会ったミュージシャンたちとバンドを組み、自らインディーズレーベル「Womanly Hips」を作ってCD制作をするなど、次第に音楽に専念するようになっていった。やがてプロデューサーのリック・チャートフに見い出され、1995年、チャートフのプロデュースによるアルバム『レリッシュ』(Relish) でメジャーデビューを果たした。アルバム収録曲である「ワン・オブ・アス」("One of Us") がビルボード誌のトップ10入りする大ヒットとなり、この曲が映画『バニラ・スカイ』『ブルース・オールマイティ』のサウンドトラックに使われたり、またグラミー賞にも8部門でノミネートされる(結果的に受賞はなかった)など、オズボーンは一躍、人気ミュージシャンの仲間入りをした。
2002年、新たにインディーズレーベルのコンペンディアと契約し、ロックやソウルの曲をカバーしたアルバム『How Sweet It Is』をリリース。このアルバムは、長らくモータウンのバックバンドとして活動してきたファンク・ブラザースと共演したことがヒントになって制作された。なお、ファンク・ブラザースとの共演の模様は、同年に公開されたドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』に収められている。
2003年にディクシー・チックスやザ・デッドのツアーに請われて参加するなど、しばらく他のミュージシャンのプロジェクト中心の活動を続けた後、2006年に『Pretty Little Stranger』、2007年に『Breakfast in Bed』、2008年に『Little Wild One』のアルバムを発表した。2009年にはチープ・トリックによるビートルズのカヴァーアルバム『Sgt. Peppers Live』にゲストボーカリストとして参加した。
オズボーンの曲はブルースやソウルに影響を受けたロックが基調であるが、『Pretty Little Stranger』ではカントリー寄りのアプローチも見せている。さらに、オズボーンはイスラームの伝統音楽であるカッワーリーにも興味を寄せ、パキスタンの歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンに弟子入りしてカッワーリーを直接学ぶなど、多様なジャンルを自らの曲に取り入れている。