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ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes, 1929年12月9日 - 1989年2月3日)は、アメリカ合衆国、ニューヨーク市出身の映画監督・俳優である。ジョン・カサベテスの表記もある。
来歴
両親はギリシャ移民。高校在学中に演技に興味を抱き、卒業後アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入り、1954年に映画俳優としてデビューする。1956年にドン・シーゲル監督の映画『暴力の季節』に出演し、ハリウッドの注目を集める。その頃に知人と演劇のワークショップを開設し、そこでの即興演技の実験的延長として監督処女作『アメリカの影』(1959年)を製作する。
俳優としてはハリウッドにおいて数多くの名作に出演しており、『ローズマリーの赤ちゃん』、『明日よさらば』等で印象的な演技を残している。『特攻大作戦』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。これらの俳優業の多くは、映画制作の資金を稼ぐためのものであったとも言われる。
1968年に、抵当に入れた自宅を舞台にインディペンデント映画『フェイシズ』を製作した。現場における即興演出を旨とし、スタッフは無償奉仕、自らも稼いだ資金はすべて撮影につぎ込んだ。この作品はヴェネツィア国際映画祭で主演のジョン・マーレイに男優賞をもたらし、第41回アカデミー賞では、自身の脚本賞を含む3部門ノミネートを果たし、インディペンデント映画というジャンルの確立に成功。1974年に公開された『こわれゆく女』を発表。妻と友人のピーター・フォークが主演を務め、第47回アカデミー賞では、自身が監督賞候補、妻が主演女優賞候補と、夫婦揃ってノミネートされ、その手腕を改めて発揮する形となった。その翌年には『オープニング・ナイト』が第25回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、妻に銀熊賞 (女優賞)をもたらした。
1980年の『グロリア』は商業作としても成功し、ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。4年後の1984年には『ラヴ・ストリームス』を発表し、ベルリン国際映画祭金熊賞、国際批評家連盟賞を受賞した。
監督作では妻のジーナ・ローランズをはじめ、ピーター・フォーク、ベン・ギャザラ、シーモア・カッセルといった個性派の俳優たちが、それぞれのキャリアにおける重要な演技を残している。
公私にわたる仲間だったピーター・フォーク主演のテレビシリーズ『刑事コロンボ』にも、『黒のエチュード』(シーズン2 #10)の犯人役で出演している。
1989年にロサンゼルスの病院にて59歳で死去した。死因は肝硬変。
家族
妻はアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで出会い、1954年に結婚した、女優のジーナ・ローランズ。自身の監督作品に数多く出演しており、カサヴェテスが主演したテレビ・シリーズ『ジョニー・スタッカート』でも共演している。
ローランズとの間に3人の子供をもうけている。息子のニック・カサヴェテスは父と同様に俳優兼監督で、父の遺した脚本を映画化した『シーズ・ソー・ラヴリー』の監督を務めた。映画監督として『ブロークン・イングリッシュ』でデビューしたゾエ・カサヴェテスは次女。長女のザン・カサヴェテス(アレクサンドラ)も俳優、監督として活動している。
レガシー
アミール・ナデリはジョン・カサヴェテスを20世紀で最も重要な映画作家だとしている[1]。濱口竜介はカサヴェテスの強い影響を受け、東京大学文学部の卒業論文も「ジョン・カサヴェテスの時間と空間」だった[2]。
フィルモグラフィー
出演作品
監督・脚本作品
脚注
外部リンク