シモーヌ・シモン

シモーヌ・シモン
Simone Simon
Simone Simon
 1942年宣伝写真
本名 Simone Thérèse Fernande Simone
生年月日 (1911-04-23) 1911年4月23日
没年月日 (2005-02-22) 2005年2月22日(93歳没)
出身地 フランスの旗 フランス共和国マルセイユ
死没地 フランスの旗 フランスパリ
活動期間 1931年 - 1973年
主な作品
第七天国
キャット・ピープル
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シモーヌ・シモン(Simone Simon, 本名: Simone Thérèse Fernande Simon, 1911年4月23日 - 2005年2月22日)は、フランスマルセイユ出身の女優

戦前から、本国以外にもアメリカ合衆国双方で活動した。

略歴

1953年10月18日から28日にかけて、第1回「フランス映画祭」(主催:ユニフランス・フィルム)が東京、大阪、京都の各都市で開催された。映画祭に参加するためアンドレ・カイヤット、シモーヌ・シモン、ジェラール・フィリップが来日した。写真は皇居の二重橋を訪れたシモンとフィリップ[1]

1931年からフランスにおいて映画女優として活動を始め、短期間のうちに名声をうちたてた。1933年映画『乙女の湖』を観たダリル・F・ザナックによって、1936年、シモーヌはハリウッドに招かれた。しかし大いに喧伝されたにもかかわらず20世紀フォックスでの出演作は大して当たらなかった。不満をかかえたままシモーヌは故国に帰り、1938年に『獣人』に登場した。

第二次世界大戦が勃発すると、シモーヌはハリウッドに再び渡り、1941年からはRKO映画の『悪魔の金』(1941年)、怪奇映画キャット・ピープル』(1942年)及び続編と銘打った『キャット・ピープルの呪い』(1944年)で英語による映画でもよく知られるようになった。だが、これらの成功も後が続かず、終戦まで二流映画の出演に甘んじることになった

戦後フランスに戻ったシモーヌは『輪舞』(1950年)に出演する。これ以降の出演作はわずかであり、最後にフィルムに登場したのは1973年のことであった。2005年2月22日パリにおいて老衰によって死去。94歳。

シモーヌは生涯独身であったが、多くの仲間の俳優や音楽家ら等と親密な関係を持った。お付きのメイドによると、興味を持った男性には誰でも私室への金の鍵を渡したらしい。その中にはジョージ・ガーシュウィンもいるという。

1953年(昭和28年)10月20日、第1回「フランス映画祭」のために来日した。

主な出演作品

キャット・ピープル』(1942年)

映像資料

2005年現在、『獣人』『キャット・ピープル』『輪舞』が日本向けDVDとして販売されている。以前は『キャット・ピープルの呪い』のLDも販売されていた。

脚注

  1. ^ 『スタア』1954年1月号、株式会社スタア、「フランス映画祭 ジェラール・フィリップ シモーヌ・シモン アンドレ・カイヤット 来る」。

外部リンク


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