コマツ女子柔道部(こまつじょしじゅうどうぶ)は、全日本実業柔道連盟に所属する小松製作所の女子柔道チーム[1]。
1991年に会社の創立70周年記念事業の一環として女子柔道部が創設された。後に社長や会長を務めることになる坂根正弘の提案に基づくものでもあった。1997年にロサンゼルスオリンピック65kg級金メダリストである松岡義之が新たに監督に就任すると、選手の意識改革や有望選手の獲得を積極的に推し進めて、それまでの生半可な雰囲気を一変させた。
2000年前後にはデフレ不況の深刻化により多くの企業がスポーツ事業から撤退する動きを見せる中で、コマツも業績不振に見舞われたものの、全社を挙げて応援を継続するという強い意志を以ってこの危機を乗り切った。2004年にはコマツ初のオリンピック代表選手になった谷本歩実がアテネオリンピックにおいて全試合一本勝ちの活躍で金メダルを獲得したことで、柔道部の活動がよりいっそう盛り上がることとなった。谷本は2008年の北京オリンピックでもアテネに続いて全試合一本勝ちで2連覇を達成した。
全日本実業団体対抗大会では1993年にコマツAチームが初優勝して以来、2019年までに12回の優勝を果たしている。「コマツウエイ(柔道編)」と呼ばれる柔道部の心構えを明文化した文書では、「女子柔道部員である前に、コマツの一社員だということを忘れない」とした上で、部員は正社員として雇用され、全寮制の下コマツを拠点に活動するが、宣伝には使わないと定めている。さらには、「世界に通用するダントツ技を作る。『指導』の負けは『一本』で負けるより屈辱。最後まで一本を目指し攻め抜く」とも謳っている。人事部の女子柔道部担当課長であり現役時代に田村亮子の最大のライバルだった中村淳子は、「全社的な応援の下で選手は柔道に打ち込み、現役をやめた後も次の道を目指せるサポート体制をコマツはとっている」と説明する。
これまでに台湾やカナダ、ドイツなどからも部員を受け入れてきた。また、6700名にも上る後援会組織が国内の大会で大応援団を務めるだけにとどまらず、「コマツウエイ(柔道編)」に「世界中のコマツ応援団と一体となり柔道を広める」と述べられているように、海外の国際大会においても現地社員が時には100人以上の規模で会場へ応援に駆けつける[2][3][4][5][6]。
総監督
女子柔道部担当課長
監督
コーチ
マネージャ
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