この頃、独逸学協会(Society for German Sciences)などの政府高官の呼びかけで、官立ではないものの獨逸学協会学校(ドイツ学協会学校、現在の獨協大学の前身)が設置されており、当時の駐ドイツ公使青木周蔵もその設立に関わっていた。青木は法学博士の派遣をドイツ政府に要請し、ミヒャエリスが指名されたが、この時ミヒャエリスはまだ博士号を持っていなかった。しかし、ゲッティンゲン大学法学部長であるルドルフ・フォン・イェーリングが法学博士を与えるというので現地に向かうと、面接だけで博士号が与えられた。これは、イェーリングの代表作『権利のための闘争』(Der Kampf ums Recht) の初の日本語訳が当校の初代校長である西周によって進められており、イェーリングはその便宜を図るためにミヒャエリスへの博士号授与に同意したためであった[2]。
Becker, Bert (2001) (german). Georg Michaelis: Ein preußischer Jurist im Japan der Meiji-Zeit; Briefe, Tagebuchnotizen, Dokumente 1885-1889. München: Iudicium
von Braun, Magnus Freiherr (1955) (german). Von Ostpreussen bis Texas. Holkamm
Kitchen, Martin (1976). The Silent Dictatorship: The Politics of the High Command under Hindenburg and Ludendorff 1916-1918. London
Michaelis, Georg (1922) (german). Fur Staat und Volk. Berlin
Regulski, Christoph (2003) (german). Die Reichskanzlerschaft von Georg Michaelis 1917: Deutschlands Entwicklung zur parlamentarisch-demokratischen Monarchie im Ersten Weltkrieg. Marburg: Tectum-Verlag
Snell, John L. (July 1951). “Benedict XV, Wilson, Michaelis and German socialism”. Catholic Historical Review.