ゲイル・アン・ノートン (Gale Ann Norton、1954年 3月11日 - )は、アメリカ合衆国 の政治家である。1991年から1999年まで第35代コロラド州 司法長官、2001年から2006年までジョージ・W・ブッシュ 政権下で第48代内務長官 を務めた。いずれも、女性がこの職に就いたのは史上初のことだった。
若年期と教育
ノートンはカンザス州 ウィチタ で1954年 3月11日 にデイル・ノートン(Dale Norton)とアンナ・ノートン(Anna Norton)の間に生まれた[1] 。コロラド州 ソーントン で育ち、1975年にデンバー大学 を卒業した。1978年に同大学法科大学院で法務博士 の学位を取得した。
1970年代後半にリバタリアン党 に入党し、1980年には同党の全国理事の候補になったが、その直後に共和党 に移った。ノートンは小説家アイン・ランド の作品に影響を受け、ランドが提唱した賢明な利用運動 (英語版 ) や自由市場環境主義 (英語版 ) のグループとの関わりを持っており、ノートンは財産・環境研究センター[2] のフェローになっている[3] 。
キャリア
法科大学院卒業後、1979年から1983年までマウンテン・ステイツ・リーガル・ファウンデーション (英語版 ) に上級弁護士として勤務した。1983年から1984年までフーヴァー研究所 の研究員となった後、リチャード・エドモンド・リング 農務副長官の補佐を務めた[4] 。1985年から1990年まで、アメリカ合衆国内務省 の副法務官として、国立公園局 と魚類野生生物局 に勤務する弁護士を管理した[5] 。
コロラド州司法長官
内務省を辞めた後、故郷のコロラド州に戻り、1991年に同州の女性では初となる司法長官に選出された。司法長官として、ノートンは州の弁護士とともに州法の擁護に努めた。1992年、州政府が同性愛者を保護階級として認めることを禁止する州憲法修正2条が成立した。修正2条に対する異議申し立て訴訟、ローマー対エバンス事件 (英語版 ) は連邦最高裁 まで持ち越され、1996年の最高裁判決で修正2条は無効とされた[6] 。
ノートンは1996年の連邦上院議員選挙に出馬したが、共和党予備選挙でウェイン・アラード (英語版 ) 下院議員に敗れた[7] 。
1996年コロラド州選出連邦上院議員選挙 共和党予備選挙結果
ウェイン・アラード 57%
ゲイル・ノートン 43%
同年、ノートンは「南北戦争 中、奴隷制 を守るために州の主権が悪用されたが、戦後は、我々の生活に対して連邦政府が非常に大きな力を持つことに、州が立ち向かうという考えがアメリカにおいて失われた」と発言して、物議を醸した[8] 。
1998年、ノートンは他の45州の司法長官とともに、タバコ基本和解合意 (英語版 ) の交渉に参加した。これは、喫煙が原因となる病気の治療に要する費用の回収のために各州が国内の大手タバコ会社を相手取って起こした訴訟の和解である[5] 。
ノートンは1999年までの2期を務めた。州憲法により連続2期までの制限があるため、1999年1月の任期満了をもって退任した[7] 。
司法長官退任後は、デンバーに本拠を置く法律事務所、Brownstein, Hyatt & Farberの上級弁護士となった。
アメリカ合衆国内務長官
自然保護法案に署名するジョージ・W・ブッシュ 大統領を他の閣僚とともに見守るノートン(2002年)
マサチューセッツ州知事ミット・ロムニー とノートン(2005年)
2001年、大統領に就任したジョージ・W・ブッシュ はノートンを内務長官 に任命した。女性がこの職に就くのは史上初めてだった。ノートンは2006年まで内務長官を務めた[9] 。後任には前アイダホ州知事のダーク・ケンプソーン (英語版 ) が就任した。
2002年1月29日、ブッシュ大統領の一般教書演説 の間、ノートンが指定生存者 を務めた。
内務長官退任後
長官退任の時点で、ノートンは「ブッシュ政権における、石油やガスの掘削とアメリカ西部におけるその他の産業上の利益の拡大のための主要な擁護者」と見なされていた[10] 。長官退任後、ロイヤル・ダッチ・シェル に法務顧問として入社した[11] 。
2009年9月17日、司法省 は、シェル社によるノートンの雇用が、その会社の利益に関係する決定を行える連邦職員が、その会社と雇用についての話をすることを禁止する法律に違反している恐れについて捜査を開始した[12] 。内務長官在任中の2006年、ノートンがシェル社にオイルシェール の貸借を許可したことがこの法律に抵触する可能性があった。司法省は2010年に捜査を終了し、問題はなかったと報告した[13] 。
2017年現在、ノートンはコロラド州オーロラ に本社を構える、環境規制に関するコンサルタント会社、ノートン・レギュラトリー・ストラテジーズ(Norton Regulatory Strategies)で働いている[14] 。2012年、ノートンはエネルギー関連のベンチャーキャピタルであるクリーン・レンジ・ベンチャーズ(Clean Range Ventures)のシニアアドバイザーに就任した。ノートンは、フェデラリスト・ソサエティ (英語版 ) 、コロラド大学 再生・持続可能エネルギー研究所 (英語版 ) の理事を務めている[15] 。
私生活
ノートンはコロラド州で、2人目の夫であるジョン・ヒューズ(John Hughes)と共に生活している。
脚注
^ “Anna Norton Obituary - Wheat Ridge, CO ”. Dignity Memorial . 2023年3月17日 閲覧。
^ “Property and Environment Research Center ”. PERC . 2023年3月17日 閲覧。
^ Chait, Jonathan (September 14, 2009) Wealthcare , The New Republic
^ “Archived copy ”. 2016年11月29日時点のオリジナル よりアーカイブ。2017年9月26日 閲覧。
^ a b “Gale A. Norton | Attorney General - State of Colorado ”. 2017年9月27日時点のオリジナル よりアーカイブ。2017年9月26日 閲覧。
^ “Chapter 14: Other Indicia of Animus Against LGBT People by State and Local Officials, 1980–present ”. United States District Court for the Northern District of California (2013年6月30日). 2012年3月5日時点のオリジナル よりアーカイブ。2017年9月26日 閲覧。
^ a b “Profile: Secretary of Interior Gale Norton ”. ABC News . 2023年3月17日 閲覧。
^ Kettle, Martin (2001年1月12日). “Echoes of slavery as Bush nominees back confederacy” . The Guardian . https://www.theguardian.com/world/2001/jan/12/worlddispatch.usa 2013年1月9日 閲覧。
^ “Gale A. Norton, Secretary of the Interior, 2001-2006 ”. 2023年3月17日 閲覧。
^ Wallsten, Peter and Tom Hamburger Cabinet Official Norton Resigns , Los Angeles Times , March 11, 2016.
^ Norton will join Royal Dutch Shell – Steve McMillan, The Denver Post , December 28, 2006
^ Tankersley, Jim; Meyer, Josh (2009年9月17日). “Former Interior Secretary Gale Norton is focus of corruption probe” . Los Angeles Times . http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-norton17-2009sep17,0,6215749.story
^ “Error - washingtonpost.com” . The Washington Post . (2012年9月27日). オリジナル の2012年9月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120927015115/http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/12/13/AR2010121302899.html
^ Norton Regulatory Strategies Retrieved October 4, 2012
^ About – Norton Regulatory Strategies Retrieved September 27, 2017
関連項目
外部リンク