グループS

グループSFISAが1980年代後半に世界ラリー選手権(WRC)に導入を予定していたカテゴリーである。

概要

グループSはWRCのラリーカーの性能の抑制と参戦コスト低減を目的にグループBに替わるカテゴリーとして構想されたもので、1987年からの導入が予定されていた。しかし1986年にグループBラリーカーによる死亡事故が相次ぎ、グループB、グループSより性能が抑えられたグループAが1987年からWRCに導入されることになり、各メーカーによるグループSラリーカーの開発計画も破棄された。

グループS構想の経緯

1986年12月、ボローニャ・モーターショーで展示されたランチア・ECV

グループSは、ラリーカーの性能の抑制と[1]WRC参戦メーカーのコスト削減を目的として1985年9月にFISAマニュファクチャラーズ委員会により発表されたグループBに替わるWRCの新カテゴリーで、導入は1987年シーズンからとされていた[2]

グループSの規定はエンジンNA 2.4リッターか1.2リッターターボエンジンで、ロータリーエンジン(3.6リッター)の使用も認められ、出力は300馬力までとした。4WDの採用も可能で、車体正面と側面の垂直衝撃テストが義務付けられ、車両の最低重量は1,000㎏、ロールケージクロムモリブデン鋼の使用が求められた。ホモロゲーション取得に必要な最低生産台数は10台で、エボリューションモデルの公認には更に10台の製造を必要とした。グループSカーは1987年はポイント対象外での参戦が可能、1988年から本格導入が計画されていた[3]

グループS構想の発表を受けて各メーカーはグループSカーの開発を始めていたが[4]1986年3月のポルトガルラリーでの死亡事故後、FISAはグループS移行を1年遅らせて1988年開始と発表した[5]。しかし第5戦 ツール・ド・コルスでのヘンリ・トイヴォネンとセルジオ・クレストの事故死の後、FISAは緊急理事会を開催しグループBの1986年限りでの終了、グループS導入の中止と1987年からのグループA導入を決定した[6][7]

FISAの決定に対しWRCのトップドライバーたちは第6戦 アクロポリス・ラリーでFISAに要請書を提出した。その内容はターボ、可燃性素材(FRP)、ターマック・ラリーでのスリックタイヤの使用禁止を求め、安全面ではグループBがグループAより優れているとした。そのうえで300馬力までに制限されたエンジンと、軽量素材と空力部品の使用が規制され、クラッシュテストが義務付けられているグループSラリーカーが最善であるとしてグループSの導入を求めた[8][9][7]。 しかしFISAの決定は覆ることは無く1986年6月、WRCに1987年からグループAが導入されることが改めて確認された[7]

こうして1987年からWRCはグループAカーをトップカテゴリーとして開催されるようになったが、4WDターボのグループAカーのホモロゲーション取得に必要な連続する12か月間に5,000台の生産をクリア出来る自動車メーカーは多くはなかったため[10]、FIAは4WDターボ車をラインナップに持たないメーカーのWRC参入を促すためキットカーの導入を模索するようになった。

1989年のシーズンオフに開かれたFIAの総会で、1993年または1994年からグループS規定に近似したグループR(Group Rally)規定が導入される予定であることが発表された。グループRとは連続した12か月間に1万台以上生産された4シーター車両をベースとして広い改造範囲を認めたラリーカーで、フランス自動車連盟のコンストラクター委員会による案を発展させた規定だった[11]。1990年5月にFISAはグループR構想を廃案としたが、それに替わる新規定を提示した。最低生産台数は2,500台、外観の改造範囲はグループB並でサスペンション、エンジンの大幅改造も認め、ターボエンジンの排気量は2.5リッターまでとした。一方でタイヤ・ホイールサイズ、車重は制限を設け、2WDから4WDへの改造は不可と言うものであった。これは廃案となったグループR規定に類似した、事実上のプロトタイプ・ラリーカーのWRCへのエントリーを容認するものであった[12]。フランスのメーカー(ルノーシトロエン)とランチアはこの新規定の実施を支持していたが、日本のメーカーとフォードオペルGM)は強く反対しており[13][14]、結局この新規定案もFISAのモータースポーツ委員会で否決され、1993年以降もグループAラリーカーの存続が決定した[15][16]

一度は否決されたキットカー案だが、1993年頃になるとグループS規定導入の再検討という形で再び注目されることになった。この検討の過程で主にフランスの自動車メーカーが2WD・NA2リッター車の導入を強く求めた結果F2キットカーとして新規定が成立し、1993年からカップ戦として2リッターワールドカップが開催され1995年には2リッター世界選手権(W2L)に格上げされた[17][18]。WRCも1997年からF2キットカーに移行する予定であったがW2Lの注目度の低さから計画は撤回され、グループSと同様の4WDターボでエンジン出力を300馬力までとするワールドラリーカー規定がWRCに導入されることになった [19][18]

グループSラリーカー

脚注

  1. ^ 「RUMBLE SEAT」『カーグラフィック』第302号、二玄社、1986年、336頁。 
  2. ^ Garton 2022, pp. 77–78.
  3. ^ Martin Sharp「理想のラリーカーを求めて」『RALLY CARS 09 AUDI QUATTRO』、三栄書房、2015年、086頁。 
  4. ^ Garton 2022, pp. 80–81.
  5. ^ Garton 2022, p. 82.
  6. ^ Sharp 2015, p. 086.
  7. ^ a b c Garton 2022, p. 83.
  8. ^ 「RUMBLE SEAT」『カーグラフィック』第305号、二玄社、1986年、348頁。 
  9. ^ Sharp 2015, pp. 086–087.
  10. ^ ミッシェル・リザン「THE FUTURE OF WORLD RALLY CARS」『WRC '96-'97』、山海堂、1997年、45頁。 
  11. ^ ジェラール・クロンバック「JABBY'S COLUMN」『カーグラフィック』第348号、二玄社、1990年、300頁。 
  12. ^ 「NEWS CLOSE-UP」『Racing On』第078号、武集書房、1990年、35頁。 
  13. ^ Racing On 078 1990, p. 35.
  14. ^ ミッシェル・リザン「Not Group R , But Group A」『WRC '90-'91』、山海堂、1991年、150頁。 
  15. ^ 「ニュースネットワーク」『Racing On』第080号、武集書房、1990年、36頁。 
  16. ^ 「MOTOR SPORT NEWS」『カーグラフィック』第354号、二玄社、1990年、316頁。 
  17. ^ ラリーX編集部「That's World Rally Car」『RALLY・XPRESS』第1巻、山海堂、1996年、22頁。 
  18. ^ a b リザン 1997, p. 45.
  19. ^ ラリーX編集部 1996, p. 22.

参考文献

  • Nick Garton「Bの残照」『Racing On』第502号、三栄書房、2022年。 

関連項目

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