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クリス・エバート Chris Evert |
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/85/Tennis_pictogram.svg/30px-Tennis_pictogram.svg.png) |
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基本情報 |
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フルネーム |
Christine Marie Evert |
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愛称 |
クリッシー (Chrissie) |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
同・フロリダ州 フォートローダーデール |
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生年月日 |
(1954-12-21) 1954年12月21日(69歳) |
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身長 |
168cm |
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体重 |
57kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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殿堂入り |
1995年 |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1970年 |
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引退年 |
1989年 |
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ツアー通算 |
172勝 |
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シングルス |
154勝 |
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ダブルス |
18勝 |
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生涯通算成績 |
1421勝183敗 |
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シングルス |
1304勝144敗 |
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ダブルス |
117勝39敗 |
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生涯獲得賞金 |
$8,895,195 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
優勝(1982・84) |
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全仏 |
優勝(1974・75・79・80・83・85・86) |
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全英 |
優勝(1974・76・81) |
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全米 |
優勝(1975-78・80・82) |
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優勝回数 |
18(豪2・仏7・英3・米6) 全仏7勝は女子歴代1位 |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
準優勝(1988) |
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全仏 |
優勝(1974・75) |
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全英 |
優勝(1976) |
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全米 |
ベスト8(1984・88) |
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優勝回数 |
3(仏2・英1) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
1位 |
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ダブルス |
13位 |
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クリス・エバート(Chris Evert, 1954年12月21日 - )は、アメリカ・フロリダ州フォートローダーデール出身の元女子プロテニス選手。フルネームは Christine Marie Evert (クリスティン・マリー・エバート)というが、「クリス・エバート」の名前で最もよく知られる。愛称の「クリッシー」“Chrissie”で呼ばれることも多い。父親のジミー・エバートと妹のジャンヌ・エバートも元プロテニス選手である。好敵手であるマルチナ・ナブラチロワとともに、1970年代から1980年代前半の女子テニス界を牽引した。
来歴
エバートは全仏オープン女子シングルス7勝の大会最多優勝記録保持者であり、4大大会女子シングルス通算18勝は、ライバルのマルチナ・ナブラチロワと並ぶ女子歴代4位タイ記録である。彼女はWTAツアーでのシングルス通算勝利数154勝の歴代2位記録も保持している。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
エバートは“アイス・ドール”(氷の人形)というニックネームで呼ばれたが、これは彼女自身が「コート上では凍てついた氷でありたい」と言っていたように、表情を全く変えることなくプレーしていたことからついたものである。この名の通り、冷静沈着で相手に隙を見せず、正確なボール・コントロールに支えられたクレバーなテニスが彼女の強みだった。こうした強みから、彼女は球足の遅いクレーコートを最も得意としていた。クレーコートである全仏オープンで7勝の大会最多優勝記録保持者になり、エバート自身もフランスが好きであることから「パリの恋人」とも称されていた。
クリスとジャンヌの姉妹は、元プロテニス選手であった父親のジミー・エバートからテニスを習った。1972年12月21日、18歳の誕生日にプロ入りした。1974年の全仏オープンで4大大会初優勝を果たし、続くウィンブルドンも初制覇。この頃ジミー・コナーズ選手と交際したが、婚約破棄に終わった。1975年-1978年に全米オープンで大会4連覇を達成した。
1979年4月、エバートはイギリスの男子プロテニス選手であるジョン・ロイドと結婚し、夫の姓を併用して「クリス・エバート・ロイド」(Chris Evert-Lloyd)と名乗るようになった。クレーコート(赤土)125連勝の記録も樹立したが、1979年の全仏オープン前哨戦のイタリアン・オープン準決勝で、16歳の新星トレーシー・オースチンに敗れて記録が止まる。同年の全米オープン決勝でもオースチンに敗れ、大会5連覇を逃した。
1980年代に入ってからは、エバートのライバルの座をマルチナ・ナブラチロワが占めるようになった。2人は現役生活を通じて80回対戦し、最終的な対戦成績はナブラチロワの43勝37敗となった。
最後の4大大会優勝となった1986年の全仏オープンは31歳5ヶ月での制覇で、大会史上3番目の年長優勝記録となった(最年長優勝記録は1958年の優勝者ジュジャ・ケルメツィの33歳9ヶ月)。1974年 - 1986年まで13年連続での4大大会優勝も女子テニス史上最長記録となる。しかし、ジョン・ロイドと離婚した1987年に連続優勝記録が止まった。この年にシュテフィ・グラフが世界ランキング1位となり、女子テニス界は世代交代期を迎える。離婚後の1988年、全豪オープンでエバートは最後の4大大会決勝に進出したが、当時18歳のグラフに 1-6, 6-7 で敗れた。これでエバートの4大大会女子シングルス決勝進出記録は通算34回(18勝16敗)で終わった。決勝進出34回は女子歴代1位の記録で、2位はマルチナ・ナブラチロワの32回(18勝14敗)、3位はシュテフィ・グラフの31回(22勝9敗)であった。
最後まで“アイス・ドール”のイメージを守り続けたクリス・エバートは、1989年に34歳で現役を引退した。最後の4大大会出場となった1989年全米オープンでは、準々決勝でジーナ・ガリソン(アメリカ)に 6-7, 2-6 で敗れた。同年10月に日本の東京・有明コロシアムで行われた女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)でアメリカ・チームを優勝に導いたが、これがエバートの現役最後の試合となった。1995年に国際テニス殿堂入りを果たしている。
クリス・エバートはジョン・ロイドとの離婚後、1988年にアルペンスキー選手のアンディ・ミルと2度目の結婚をした。選手引退後、エバートとミルは3人の子供をもうけたが、2006年に再度離婚する。2008年6月、エバートはオーストラリアのプロゴルファーであるグレグ・ノーマンと3度目の結婚をしたが、2009年10月に離婚したことを公表した。
記録
- グランドスラム決勝進出回数「34」
- 歴代1位記録。
- グランドスラム13年連続タイトル獲得
- 歴代1位記録。
- 同じ年の4大大会すべてベスト4進出「5回」
- 単独記録。
- 全仏オープン優勝回数「7」
- 歴代1位記録。
- 全米オープン「4連覇」
- 歴代1位記録。1975–1978。
- 全米オープン「31連勝」
- 歴代1位記録。1975–1979
- 全米オープン「46セット連取」
- 歴代1位記録。1975–1979
4大大会優勝
- 全豪オープン 女子シングルス:2勝(1982年・1984年) [女子シングルス準優勝4度:1974年・1981年・1985年・1988年/女子ダブルス準優勝1度:1988年]
- 全仏オープン 女子シングルス:7勝(1974年・1975年・1979年・1980年・1983年・1985年・1986年)/女子ダブルス:2勝(1974年・1975年) [大会歴代1位/女子シングルス準優勝2度:1973年・1984年]
- ウィンブルドン 女子シングルス:3勝(1974年・1976年・1981年)/女子ダブルス:1勝(1976年) [女子シングルス準優勝7度:1973年・1978年-1980年・1982年・1984年・1985年]
- 全米オープン 女子シングルス:6勝(1975年-1978年・1980年・1982年) [大会4連覇を含む。女子シングルス準優勝3度:1979年・1983年・1984年/混合ダブルス準優勝1度:1974年]
年 |
大会 |
対戦相手 |
試合結果
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1974年 |
全仏オープン |
オルガ・モロゾワ |
6-1, 6-2
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1974年 |
ウィンブルドン |
オルガ・モロゾワ |
6-0, 6-4
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1975年 |
全仏オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
2-6, 6-2, 6-1
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1975年 |
全米オープン |
イボンヌ・グーラゴング・コーリー |
5-7, 6-4, 6-2
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1976年 |
ウィンブルドン |
イボンヌ・グーラゴング・コーリー |
6-3, 4-6, 8-6
|
1976年 |
全米オープン |
イボンヌ・グーラゴング・コーリー |
6-3, 6-0
|
1977年 |
全米オープン |
ウェンディ・ターンブル |
7-6, 6-2
|
1978年 |
全米オープン |
パム・シュライバー |
7-5, 6-4
|
1979年 |
全仏オープン |
ウェンディ・ターンブル |
6-2, 6-0
|
1980年 |
全仏オープン |
バージニア・ルジッチ |
6-0, 6-3
|
1980年 |
全米オープン |
ハナ・マンドリコワ |
5-7, 6-1, 6-1
|
1981年 |
ウィンブルドン |
ハナ・マンドリコワ |
6-2, 6-2
|
1982年 |
全米オープン |
ハナ・マンドリコワ |
6-3, 6-1
|
1982年 |
全豪オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
6-3, 2-6, 6-3
|
1983年 |
全仏オープン |
ミマ・ヤウソベッツ |
6-1, 6-2
|
1984年 |
全豪オープン |
ヘレナ・スコバ |
6-7, 6-1, 6-3
|
1985年 |
全仏オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
6-3, 6-7, 7-5
|
1986年 |
全仏オープン |
マルチナ・ナブラチロワ |
2-6, 6-3, 6-3
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4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
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F
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SF
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QF
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#R
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RR
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Q#
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LQ
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A
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Z#
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PO
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G
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S
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B
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NMS
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P
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NH
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W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク
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1975年11月3日のWTAランキング導入以降の記録 · (最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週) · 2020年3月22日のランキング凍結時点 |
クリス・エバート 獲得タイトル |
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![イギリスの旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg.png) ウィンブルドン(オープン化以後)女子シングルス優勝者 |
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![イギリスの旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg.png) ウィンブルドン(オープン化以後)女子ダブルス優勝者 |
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