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エリザベス・スマイリー Elizabeth Smylie |
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/85/Tennis_pictogram.svg/30px-Tennis_pictogram.svg.png) |
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基本情報 |
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フルネーム |
Elizabeth Sayers Smylie |
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愛称 |
リズ |
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国籍 |
オーストラリア |
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出身地 |
同・パース |
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生年月日 |
(1963-04-11) 1963年4月11日(61歳) |
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身長 |
170cm |
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体重 |
58kg |
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利き手 |
右 |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1980年 |
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引退年 |
1997年 |
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ツアー通算 |
38勝 |
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シングルス |
3勝 |
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ダブルス |
35勝 |
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生涯通算成績 |
664勝428敗 |
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シングルス |
181勝213敗 |
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ダブルス |
483勝215敗 |
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生涯獲得賞金 |
1,701,837 アメリカ合衆国ドル |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
ベスト8(1987) |
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全仏 |
2回戦(1983) |
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全英 |
4回戦(1984・85) |
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全米 |
2回戦(1986・87・89) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
準優勝(1993) |
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全仏 |
ベスト4(1984) |
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全英 |
優勝(1985) |
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全米 |
準優勝(1987) |
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優勝回数 |
1(英1) |
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4大大会最高成績・混合ダブルス |
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全英 |
優勝(1991) |
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全米 |
優勝(1983・90) |
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優勝回数 |
3(英1・米2) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
20位 |
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ダブルス |
5位 |
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獲得メダル |
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エリザベス・スマイリー(Elizabeth Smylie, 1963年4月11日 - )は、オーストラリア・パース出身の元女子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られている。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス5位。WTAツアーでシングルスは3勝と少ないが、ダブルスで35勝を挙げた。フルネームはエリザベス・セイヤーズ・スマイリー(Elizabeth Sayers Smylie)という。旧姓エリザベス・セイヤーズ(Elizabeth Sayers)というが、コーチのピーター・スマイリー(Peter Smylie)との結婚後は夫の姓だけを使用して「エリザベス・スマイリー」と名乗った。リズ(Liz)という愛称で親しまれ、リズ・スマイリーと呼ばれることも多かった。
エリザベス・セイヤーズの競技経歴は、1980年末の全豪オープンから始まる。1983年の全米オープン混合ダブルスで、セイヤーズは同じオーストラリアのジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、ファーディ・テイガン&バーバラ・ポッター(ともにアメリカ)組を破って初優勝を飾った。その直後、9月末の「バージニアスリムズ・カンザス」大会で単複優勝を果たす。1984年11月10日にピーター・スマイリーと結婚。1985年のウィンブルドン女子ダブルス優勝は、エリザベス・スマイリーのテニス経歴を通じて最も顕著な勝利であった。この時スマイリーはアメリカのキャシー・ジョーダンとペアを組み、決勝でマルチナ・ナブラチロワとパム・シュライバーのペアを 5-7, 6-3, 6-4 の逆転で破ったのである。ナブラチロワとシュライバーはそれまで女子ダブルスで前人未到の「109連勝」の記録を樹立していたが、スマイリーとジョーダンがこの記録を止めた。
1987年の全豪オープンでスマイリーは4大大会のシングルス自己最高記録を出し、ベスト8に進出した。当時のスマイリーはシングルスの世界ランキング82位から勝ち上がり、準々決勝で第5シードのクラウディア・コーデ=キルシュ(西ドイツ)に 6-7, 6-4, 2-6 で敗れた。同年の全米オープン女子ダブルスで、スマイリー&ジョーダン組は(2年前に連勝記録を止めた)ナブラチロワ&シュライバー組に 7-5, 4-6, 2-6 で敗れて準優勝になった。1988年、スマイリーは全豪オープンの女子ダブルスでシュテフィ・グラフとペアを組んで準決勝に進み、同年のソウル五輪にもオーストラリア代表として出場した。スマイリーとウェンディ・ターンブルのペアは、準決勝でアメリカ代表のジーナ・ガリソン&パム・シュライバー組に敗れた。このソウル五輪では、準決勝敗退選手(ペア)による銅メダル決定戦は行われず、両方に銅メダルが授与されたため、スマイリーとターンブルはオーストラリアにテニス女子ダブルスの銅メダルをもたらした。
エリザベス・スマイリーは1988年以後、4大大会の女子シングルスでは3回戦以上に勝ち進めなかったが、ダブルスでさらに成績を伸ばし、1990年の全米オープンで7年ぶり2度目の混合ダブルス優勝を飾った。パートナーのトッド・ウッドブリッジは当時まだ19歳の若者であったが、8歳の年齢差があった2人は決勝でジム・ピュー(アメリカ)&ナタリア・ズベレワ(ソ連)組を 6-4, 6-2 で破っている。1991年のウィンブルドンで、スマイリーは混合ダブルスで再びジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、前年の全米混合決勝と同じピュー&ズベレワ組を 7-6, 6-2 で破って優勝した。スマイリーにとっては、1985年の女子ダブルス優勝以来6年ぶりに獲得した2つ目のウィンブルドン・タイトルであった。
スマイリーのシングルス成績はダブルスほど目立たないが、日本の「ジャパン・オープン」で1989年・1990年の2年連続シングルス準優勝がある。1989年の決勝戦では岡本久美子に、1990年はカタリナ・リンドクイスト(スウェーデン)に敗れた。ダブルスでも日本のトーナメントに数多く出場したことから、日本にも多くのファンを持っていた。
スマイリー夫妻には長い間子供がいなかったが、1991年末にようやく妊娠が分かった。スマイリーは出産後、1992年6月から直ちに現役復帰をし、1993年の全豪オープンでパム・シュライバーと組んで初めての女子ダブルス決勝進出を決めた。このペアは決勝で第1シードのジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ組に 4-6, 3-6 で敗れて準優勝になった。スマイリーは1994年のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、1996年にダブルスのフルシーズンをこなし、ウィンブルドン女子ダブルスでリンダ・ワイルド(アメリカ)と組んで準決勝に進出している。最後の大舞台では、スマイリーのペアはマルチナ・ヒンギスとヘレナ・スコバの組に敗れた。1997年は全豪オープンとウィンブルドンの2大会のみに出場し、最後はどちらもパム・シュライバーと組んだ。こうしてエリザベス・スマイリーは、出産後も34歳まで現役を続行し、十数年間にわたってダブルスの第一線で活躍を続けたのである。
スマイリーは引退後も、女子テニスツアーの運営に携わった。引退の翌年、1998年からは母国オーストラリア・ゴールドコーストで開催されていたツアー大会「モンディアル・オーストラリア女子ハードコート選手権」のトーナメント・ディレクターの職に就任し、同大会が終了となった2008年までその職務を務めた。
4大大会ダブルス優勝
参考文献
外部リンク
![イギリスの旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg.png) ウィンブルドン(オープン化以後)女子ダブルス優勝者 |
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![イギリスの旗](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg/25px-Flag_of_the_United_Kingdom_%283-5%29.svg.png) ウィンブルドン(オープン化以後)混合ダブルス優勝者 |
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