『キャピュシーヌ大通り』(キャピュシーヌおおどおり、Le Boulevard des Capucines)は、印象派の画家クロード・モネが1873年から1874年にかけて制作した油彩画。
現在ネルソン・アトキンス美術館に収蔵されているものと、プーシキン美術館に収蔵されているものの2つがある。
制作
モネは、1873年、パリのキャピュシーヌ大通り(英語版)35番地にある写真家ナダールのスタジオの窓から、大通りの喧騒を観察した[3]。ナダールは、この年、キャピュシーヌ大通りからアンジュー街にスタジオを移しており、モネは、ナダールの許可を得て旧スタジオを借り受けて『キャピュシーヌ大通り』を制作した[4]。
大通りを行き交う群衆の姿は、黒い単純な筆触で描かれている。モネが表現しようとしたものは、個々の人物ではなく、無数の人々が行き交う大通りの活気であった。ラフな筆触を残すことによって、画家の手の動きも伝えられる[5]。
プーシキン美術館作品の右端には、通りを見下ろしている2人の男性の姿が描かれているが、画面右端で切り取られており、トリミングの手法が用いられている。これは、画面が、大通りを垣間見た「偶然的なもの」であることを意味する[6]。
発表
1874年4月15日から、モネを中心とする画家たちが設立した画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社が、同じキャピュシーヌ大通り35番地のアトリエで「第1回展覧会」を開催した。後に「第1回印象派展」と呼ばれることになる展覧会である[7]。
モネは、この第1回印象派展に、『印象・日の出』など他の作品とともに、『キャピュシーヌ大通り』を出品した。もっとも、2作の『キャピュシーヌ大通り』のうち、どちらの作品が展示されたかは論争がある。O. ReuterswärdとCh. Sterlingは、プーシキン美術館作品であるとするのに対し、ジョン・リウォルドは、ネルソン・アトキンス美術館作品であるとしている[8]。
展覧会に来た観客は、会場の窓から見えるキャピュシーヌ大通りの光景と、モネの絵とを見比べるように仕組まれていたといえる[9]。
評価
ルイ・ルロワは、『ル・シャリヴァリ(英語版)』紙に掲載した「印象派の展覧会」[10]と題する風刺記事(1874年4月25日)で、『キャピュシーヌ大通り』について、登場人物に「画面の下の方の、まるで黒いよだれのような、無数の縦長のものは一体何なのだ」と酷評させている。ルイ・ルロワが依拠するアカデミズム絵画の立場からすれば、人体表現は絵画の基本であり、丁寧な仕上げがされていないラフな描き方は非難の対象であった[5]。
一方、エルネスト・シェノー(フランス語版)は、『パリ・ジュルナル』紙(1874年5月7日)で、「これまでこの素晴らしい『キャピュシーヌ大通り』ほど、埃と光の中のおびただしい数の群衆の動き、道路の上の馬車と人々の雑踏、大通りの木々の揺れ、つまりとらえがたいもの、移ろいやすいもの、すなわち運動の瞬間なるものが、その流れ去る性質のままに描き留められたことはかつてなかった。」と、肯定的に評価した。これは、シャルル・ボードレールのモデルニテの考えに基づく評価と考えられる[5][11]。
来歴
プーシキン美術館作品
プーシキン美術館作品の来歴は次のとおり[8]。
脚注
参考文献
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作品 |
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関連人物 |
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因んだ名前 | |
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