キャピタルは、東京都渋谷区富ヶ谷に本社を置いたインポーター兼輸入車ディーラーである。もとはキャピタル企業という社名であったが、改称した。親会社は東京日産自動車販売。1960年代から1980年代にかけて活動した
オースチン・A50・ケンブリッジがセドリックにバトンタッチした後のオースチン需要を取り込むために設立され、従来の日本総代理店であった日新自動車(スチュードベーカーも扱っていた)に代わってオースチン、そして新たにバンデン・プラの日本総代理店となった。
概要
1960年代中盤、船橋サーキットなどでの草創期の自動車レースにオースチン・ミニ・クーパー Sをチューンして「キャピタルミニ」として、川口吉正らの操縦でエントリーさせ、親会社筋の日産自動車の製造するダットサン・ブルーバード 1200 SS(410型系)などと激しいバトルを展開した。
1970年代に入るとミニ・クーパー S の生産は中止され、いわゆる英国病による品質低下や排出ガス規制対策の遅れから、英国車の輸入は次第に困難となったが、ミニ・1000の輸入を主力に事業を継続、1976年(昭和51年)からは三井物産撤退後のルノー日本総代理店となり、同年からルノー・5 GTLの輸入販売を開始した[1]。
ルノーの上級モデルであるR18やR25等は、後に日英自動車が輸入を担当し、同社が解散する1985年(昭和60年)まで、二社並存によるルノー輸入体制が現出した。
1980年代に入ると本国メーカーが日本法人(子会社)を設立して自ら輸入販売に乗り出すケースが増え、ミニの販売はオースチン・ローバー・ジャパンに移行、ルノーもジヤクス・カーセールス(JAX)に輸入販売権を譲渡することになり、1989年(平成元年)10月をもって日本自動車輸入組合を退会、自動車輸入から撤退した[2]。
その後は社名を「キャピタル企業」から「キャピタル」と変更し、ヤナセの販売協力店として主にアウディを、ヤナセがVW・アウディ・グループの輸入代理権を返上した後は主にオペルを扱っていたが、1990年代前半に業務を終えた。
脚注
- ^ 日本自動車輸入組合の資料による。実際に販売された車両の登録年(年式)は1977年(昭和52年)の可能性あり。
- ^ インポーター別取り扱いブランドの移り変わり「キャピタル企業(株)」 [1]- 日本自動車輸入組合