カール・フレドリック・ヴィスロフ[1](ノルウェー語: Carl Fredrik Wisløff、1908年12月3日 - 2004年6月25日)は、ノルウェーのルター派神学者である。
経歴
1908年、ノルウェーのドランメンで生まれ、サルプスボルグで育った。ヨーロッパで新正統主義神学が台頭してきた時代にあって、オスロ独立神学校でオーレ・ハレスビーやオラフ・ムーの元で神学を修め、牧師職についた。
第二次世界大戦中はナチス・ドイツに抵抗して牧師職を追われた。戦後母校のオスロ独立神学校に迎えられて、実践神学教授になり、実践神学と牧会史を担当した。さらに、教会史教授になり、特にマルティン・ルターの研究に取り組み、「聖餐論」によって世界に知られた。
国際福音主義学生連盟やヨーロッパ福音主義学生連盟の指導して、福音派の指導者として高い評価を受けた。1971年には、アムステルダム世界伝道会議でビリー・グラハムと共に講演をした。
家族・親族
- 従兄弟:ハンス・エワワルド・ヴィスロフ(Hans Edvard Wisløff)も神学者、著述家。
著作
- 『キリスト教教理入門』(1966年)
- 『説教のこころ』(1978年)
- 『マルティン・ルターの神学』(1984年)
参考文献
脚注
- ^ 「カール・F・ヴィスレフ」とも日本語表記されている。