カラヴァッジョ(伊: Caravaggio ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県にある、人口約1万6000人の基礎自治体(コムーネ)。
バロック期の画家カラヴァッジョ(本名ミケランジェロ・メリージ)は、この町で少年時代を過ごした。郊外には、聖母が出現して霊験あらたかな泉が湧き出たという聖域があり、イタリアでは著名な巡礼地である。
ベルガモ県南端部、ジェーラ・ダッダ(イタリア語版)と呼ばれる地域に位置する。コムーネ面積は32km2で市域は南北に長く、南にクレモナ県に接する。カラヴァッジョの街は市域中央にあり、県都ベルガモから南へ約23km、州都ミラノから東へ39km、ブレシアから西へ約45km、ピアチェンツァから北へ50kmの距離にある[4]。
隣接するコムーネは以下の通り。CRはクレモナ県所属。
市域の東部のバリアーノとの境界は、フォッソ・ベルガマスコ (it:Fosso bergamasco) と呼ばれる、中世に掘られた運河跡である。13世紀から14世紀にかけて、西のアッダ川からセーリオ川を経て東にオーリオ川まで掘られたこの運河は、中世から近世にかけ「ベルガモ」と「クレモナ」の境界線となっていた。
イタリアの地震リスク階級 (it) では、3 に分類される [5]。
1432年5月26日、この町の郊外の野原で農婦の前に聖母の出現があったという(カラヴァッジョの聖母)[6]。出現地は泉が湧いて聖域とされ、巡礼地として高名になった[6]。出現地には1575年から聖堂の建設が開始された[7]。
一般に「カラヴァッジョ」の名で知られる画家ミケランジェロ・メリージ(1571年 - 1610年)は当地ゆかりの人物で、父親はカラヴァッジョ侯爵家に仕えるマギステル(執事兼建築家)であった[8]。画家の正確な出生地は長らく不明であり、当地生まれたとされたこともあったが、近年(2007年時点)ミラノで洗礼記録が発見され、彼がミラノ生まれであったことが判明した[9]。1577年、6歳の彼はミラノでのペスト流行を逃れるため家族とともに当地に移住、父や親族の死などを見つつ、13歳で画家を志してミラノに出るまでの少年時代を過ごした[10]。画家は修業時代にはしばしば当地に帰ったようであるが、1592年にあわただしくローマに旅立って以後、郷里に帰ることはなかった[11]。
市域北部には、ミラノとブレシアを結ぶ鉄道・道路が通っている。
市域北部には、北イタリアを横断する幹線であるミラノ=ヴェネツィア線が走り、ヴィダレンゴ駅が置かれている。町の中心駅であるカラヴァッジョ駅は、トレヴィーリオでミラノ=ヴェネツィア線から南に分岐するトレヴィーリオ=クレモナ線の駅である。
アウトストラーダ A35とともに、ミラノ=ヴェローナ高速線 (it:Ferrovia Milano-Verona (alta velocità)) が通過する。
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