エレーネ・ゲデヴァニシヴィリ(グルジア語: ელენე გედევანიშვილი[1]、1990年1月7日 - )は、ジョージア(旧称グルジア)トビリシ出身の女性フィギュアスケート選手。
2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピックグルジア代表。2010年、2012年欧州選手権3位。
姓はゲデワニシビリ、ゲデバニシビリほかのカナ表記もみられる。
2005-2006シーズン、初のシニアクラス競技会となったカールシェーファーメモリアルで4位に入りトリノオリンピックのジョージア出場枠を獲得。ISUジュニアグランプリではファイナルに進出する。初出場となる2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権でいきなり5位。また、直後のトリノ五輪でフリースケーティングの最終グループ6人に入ったことで注目を集める。
エレーナ・ブヤノワ、タチアナ・タラソワの指導の下、モスクワのCSKAモスクワでトレーニングをしていたが、2006-2007シーズン中、ロシアとジョージアが関係の悪化[2]により、滞在ビザが不完全と一方的に認定されたグルジア人一斉追放の対象に、10月4日になって母親が含まれたためモスクワからの退去を余儀なくされる[3]。同月11日にウィーンで開催されたカールシェーファーメモリアルにはモスクワからジョージアへの帰国途中に参加し優勝。初めて招待されていたISUグランプリシリーズで中国杯、NHK杯にエントリーがあったが欠場。12月25日にアメリカに落ち着きオクサナ・バイウルを育てたガリーナ・ズミエフスカヤのもとで練習を再開。2007年1月下旬にワルシャワで開催された欧州選手権には出場し、ショートプログラム3位、総合8位となる。3月に東京で開催された世界選手権にも出場を果たした。
2007-2008シーズンにはロマン・セロフに師事。あらためてISUグランプリシリーズデビューを果たす。2008-2009シーズンの世界ジュニア選手権よりエレイン・ザヤックに師事し、同大会では6位に入る。直後の世界選手権では初のトップ10入り。
2009-2010シーズンの欧州選手権ではショート、フリーともパーソナルベストを更新、3位となり、国際スケート連盟の主催する大会で自身初の表彰台に上る。直後のバンクーバーオリンピックではトリノに続く2大会連続の出場を果たした。
2010-2011シーズンは、NHK杯で6位、スケートアメリカで7位と昨シーズンと同等の結果となる。しかし欧州選手権では順位を大きく落とし8位に。
7月にブライアン・オーサーにコーチを変更しトロントへ移った。2011-2012シーズンは、NHK杯で5位、スケートアメリカで7位。欧州選手権ではトータルとフリーでのパーソナルベストを更新して銅メダルを獲得し、表彰台上に返り咲いた。
2012-2013シーズン、欧州選手権では14位。世界選手権ではショートで29位となり、初めてフリーに進出することができなかった。シーズンオフにはコンスタンティン・コスティンとエドゥアール・プリナーに変更し、アメリカのマサチューセッツ州に練習拠点を移した[4]。
2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯でソチオリンピックの出場枠を獲得。グランプリシリーズの後、コーチをブライアン・オーサーに戻した。欧州選手権では10位。
バネを利かせた高いジャンプと、体の柔らかさを活かしたスピンやスパイラルに特徴がある。トウループとルッツを得意としており、競技では3-3-2回転のコンビネーション(全てトウループ)を取り入れている。トリノオリンピックにおいては3回転フリップ-3回転トウループや3回転ルッツ-3回転トウループという難度の高いコンビネーションも跳んだ。また、アラベスク・スパイラルから2回転アクセルへの流れも特徴的である。一方、ループは苦手としており[5]、競技では外すことが多い。