エリザベスタウン (英 : Elizabethtown )は、アメリカ合衆国 ケンタッキー州 の都市。ハーディン郡 の郡庁所在地 である[2] 。人口は3万1394人(2020年)。エリザベスタウン都市圏 の中核である。さらに広域ではルイビル ・ジェファーソン郡 ・エリザベスタウン・スコッツバーグ広域都市圏 に含まれている。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局 に拠れば、市域全面積は25.8平方マイル (67 km2 )であり、このうち陸地25.4平方マイル (66 km2 )、水域は0.5平方マイル (1 km2 )で水域率は1.77%である。
アメリカ合衆国国勢調査局が定義した大都市統計地域のリストでエリザベスタウンの人口は28,531人である。人口推計は2010年時点のものである。都市圏の名称は2005年12月1日時点のものである。エリザベスタウン大都市統計地域には、エリザベスタウンにほぼ匹敵するラドクリフ が含まれている。その他フォートノックス軍事施設の住宅地域、エイブラハム・リンカーン の教師ザカライア・ライニーが住んだ未編入町ライニービル、バイングローブ、グレンデール、ソノラ、ウェストポイント、アプトンがある。
気候
この地域の気候は暑く湿気た夏と、温暖から冷涼な冬が特徴である。ケッペンの気候区分 では温暖湿潤気候 ("Cfa")に区分される[3] 。
歴史
サミュエル・ヘイクラフト・ジュニアが1869年に著した『エリザベスタウンの歴史』では「エリザベスタウンがその喜ばしい位置にあり、事業の意欲と活力のある人々がおり、鉄道施設があり、素晴らしい水があり、周辺には知的で紳士的な農夫がおり、世界でも最良の果物生産地であり、将来的には製造業が成長するに違いなく、大きな都市になったときに、出発点を振り返って見ることになるだろう。」と記していた。
ブラウン・ピュージー邸
サミュエル・B・トマス邸
ハーディン郡は1793年に設立され、地元でインディアン部族と共に働いたインディアン・ファイター、ジョン・ハーディン大佐から名付けられた。それから数年の内に職業人や商売人が地域に入って住むようになった。1793年、ハインズ大佐が30エーカー (120,000 m2 ) の土地(この時までセバーンのバレー開拓地と呼ばれていた[4] )を測量させ、区画割りしてエリザベスタウンの町を設立した。この名称はハインズの妻エリザベスにちなむものであり、法的には1797年に設立となった[5] [6] 。
トマス・リンカーン (エイブラハム・リンカーン 大統領の父)がサミュエル・ヘイクラフトを助けて、バレー・クリーク沿いヘイクラフトのミルで水門を建設した。1806年にリンカーンはナンシー・ハンクスと結婚した後、エリザベスタウンに立てた丸太小屋に住んだ。その娘サラは1807年に生まれた。それから間もなく一家はシンキング・スプリング農園に移転し、そこで1809年にエイブラハム・リンカーンが生まれた。トマス・リンカーンは1816年に家族を連れてインディアナ州 に移転した。1818年に妻が死んだ後、エリザベスタウンに戻って、1816年から未亡人になっていたサラ・ブッシュ・ジョンストン と再婚した。トマスは、サラと3人の子供を連れてインディアナに戻り、サラがトマスの2人の子供たちの継母になった。
1850年3月5日、ケンタッキー州が、ルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道会社が資金を集め、ルイビルからテネシー州 境までナッシュビル の方向に鉄道を建設することを承認した。トマス・ヘルム大尉の孫、ジョン・L・ヘルム が1854年10月にこの鉄道会社の社長になった。ヘルムはエリザベスタウンを通る本線の建設を指示した。この鉄道は1858年にエリザベスタウンまで開通し、最初の列車が到着したのは同年6月15日だった。鉄道の開通で経済成長がもたらされ、南北戦争 の時には鉄道沿線の重要な交易中心であり、戦略地点となった。
1862年12月27日、南軍 の将軍ジョン・ハント・モーガン とその3,000名の騎兵隊がエリザベスタウンを攻撃した。この戦闘中、100発以上の砲弾が町に降り注いだ。モーガンはうまく町を占領したが、その主目的は鉄道と北部の交通を妨害することだった。モーガンは鉄道に沿って北に進軍し、橋脚を燃やし、線路の一部を破壊した。この戦闘後、公共広場の傍にある建物の側面に埋め込まれたままの砲弾が見つかった。1887年にこの建物を燃やした後に再建され、砲弾はその壁に最初にあった場所にできるだけ近く置き直され、現在も残っている。
レコンストラクション 時代の1871年から1873年、ジョージ・アームストロング・カスター 将軍が率いた第7騎兵隊 と第4歩兵連隊の1個大隊が、エリザベスタウンに駐屯していた。この部隊は強制法の下に、解放奴隷や共和党員を攻撃していたクー・クラックス・クラン を抑圧する任務があった。また南北戦争後に南部で盛んになった違法醸造所を摘発する任務もあった。カスター将軍とその妻エリザベスは、アーント・ベック・ヒルの寮の背後にあった小さなコテージ、現在ブラウン・ピュージー邸と呼ばれている家に住んでいた。
文化
この町は土地では「E-タウン」と呼ばれる。ルイビルとナッシュビルを繋ぐ州間高速道路 65号線の沿線で2つある大都市の1つとされている。もう一つはボーリンググリーン である。2005年の映画『エリザベスタウン 』はこの町の名前を採用していたが、エリザベスタウンは近年の商業開発で歴史ある建物が無くなったので、撮影はバーセイルズやルイビルで行われた。
アルコール販売
ハーディン郡はドライ郡(禁酒郡 )だが、100席以上があるレストランで、売り上げの70%以上が料理による場合に、昔からアルコールの販売が認められている。地元の人はこれを「ダンプ」あうりは「モイスト」と呼んでいる。
2011年10月4日時点で、エリザベスタウン、ラドクリフ、バイングローブの住人が各市域内でパッケージアルコールの販売を拡大することを住民投票で承認した。これら3都市の企業は、州の免許を得ておれば、パッケージに入ったアルコール、ワイン、ビールを販売できるようになった[7] 。
エリザベスタウンは最早禁酒郡ではない。半ウェット郡とは、バーは無いが、アルコールの販売はレストラン以外でも認められていることである。
交通
エリザベスタウン市にはエリザベスタウン地域空港があり、エリザベスタウン空港委員会が市に商業便を就航させる可能性を探索している[8] 。
人口動態
人口推移
年
人口
%±
1860 556 —
1870 1,743 213.5% 1880 2,526 44.9% 1890 2,260 −10.5% 1900 1,861 −17.7% 1910 1,970 5.9% 1920 2,530 28.4% 1930 2,590 2.4% 1940 3,567 37.7% 1950 5,807 62.8% 1960 9,641 66.0% 1970 11,748 21.9% 1980 15,380 30.9% 1990 18,167 18.1% 2000 22,542 24.1% 2010 28,531 26.6% 2020 31,394 10.0% U.S. Census Bureau[9]
以下は2010年の国勢調査 による人口統計データである[10] 。
基礎データ
人口: 28,531 人
世帯数: 15,711 世帯
家族数: 9,345 家族
人口密度 : 361.6人/km2 (936.6人/mi2 )
住居数: 12,664 軒
住居密度: 189.4軒/km2 (490.5軒/mi2 )
人種別人口構成
年齢別人口構成
18歳未満: 25.1%
18-24歳: 9.8%
25-44歳: 27.5%
45-64歳: 24.4%
65歳以上: 13.2%
年齢の中央値: 35歳
性比(女性100人あたり男性の人口)
世帯と家族 (対世帯数)
18歳未満の子供がいる: 30.5%
結婚・同居している夫婦: 43.2%
未婚・離婚・死別女性が世帯主: 15.1%
非家族世帯: 37.3%
単身世帯: 32.1%
65歳以上の老人1人暮らし: 10.9%
平均構成人数
収入
収入と家計
収入の中央値
世帯: 40,720米ドル
家族: 54,699米ドル
性別
男性: 43,406米ドル
女性: 30,310米ドル
人口1人あたり収入: 23,627米ドル
貧困線 以下(2000年データ)
対人口: 10.5%
対家族数: 8.5%
18歳未満: 14.6%
65歳以上: 9.1%
教育
エリザベスタウン独立教育学区
エリザベスタウン高校
T・K・ストーン中学校
モーニングスデール小学校
ヘルムウッドハイツ小学校
バレービュー教育センター
ハーディン郡教育学区
ハーディン郡教育学区が市域内の一部をカバーしている。
ブルーグラス中学校
セントラルハーディン高校[11]
G・C・バークヘッド小学校
ハートランド小学校
リンカーン・トレイル小学校
ニューハイランド小学校
ジョン・ハーディン高校は住所がエリザベスタウンであり、住人が幾らかその校区に住んでいるが、実際にはラドクリフの市域に入っている[11] 。逆にセントラルハーディン高校はエリザベスタウン市域内にあるが住所はセシリアである。
私立学校
セントジェイムズ・カトリック地域学校
エリザベスタウン・クリスチャン・アカデミー
グロリア・デイ・ルーテル学校
高等教育機関
エリザベスタウンにはケンタッキー・コミュニティ工科カレッジ・システム (英語版 ) に属するエリザベスタウン・コミュニティ工科カレッジ (英語版 ) がある。西ケンタッキー大学 (英語版 ) の拡張キャンパスと、ウェストポート道路沿いにエンパイア美容学校(元ヘア・デザイン学校)がある。
姉妹都市
姉妹都市インターナショナルで指定される姉妹都市関係が1つある。
日本 福島県 桑折町 (こおりまち)[12]
教会
アレゲーニー山脈より西で最初のバプテスト開拓地はエリザベスタウンのセバーンズ・バレー・バプテスト教会であり、エリザベスタウンの最初の名前を採っていた。カトリック教徒はネルソン郡 から西に来ておりセントクレア教区のコールズバーグに入植し、その後エリザベスタウンのセントジェイムズ教区に入って来た。ルシンダ・ヘルムがユナイテッド・メソジスト教徒をエリザベスタウンに連れて来て、ヘルム記念ユナイテッド・メソジスト教会と名付けて記念した。エリザベスタウンの100以上の教会で12以上の会派が活動している。
著名な出身者
脚注
^ “Quickfacts.census.gov ”. 17 Nov 2023 閲覧。
^ Find a County , National Association of Counties, http://www.naco.org/Counties/Pages/FindACounty.aspx 2011年6月7日 閲覧。
^ Climate Summary for Elizabethtown, Kentucky
^ Commonwealth of Kentucky. Office of the Secretary of State. Land Office. "Elizabethtown, Kentucky". Accessed 25 Jul 2013.
^ Rennick, Robert M. (1987). Kentucky Place Names . University Press of Kentucky. pp. 90. https://books.google.co.jp/books?id=3Lac2FUSj_oC&lpg=PA49&dq=cannon+ky&pg=PA90&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=cannon%20ky&f=false 2013年4月28日 閲覧。
^ Gannett, Henry (1905). The Origin of Certain Place Names in the United States . Govt. Print. Off.. pp. 116. https://books.google.co.jp/books?id=9V1IAAAAMAAJ&pg=PA116&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false
^ Finley, Marty (October 4, 2011). “Elizabethtown residents choose to expand sales” . The News-Enterprise (Elizabethtown, Kentucky). http://www.thenewsenterprise.com/content/elizabethtown-residents-choose-expand-sales March 1, 2012 閲覧。
^ http://www.thenewsenterprise.com/content/progress-slows-deal-bring-airline-e%E2%80%99town
^ Historical Census Data Retrieved on 2010-02-11
^ American FactFinder , United States Census Bureau , http://factfinder2.census.gov 2011年5月14日 閲覧。
^ a b “State Primary Road System: Hardin County ”. Kentucky Transportation Cabinet (July 2011). August 5, 2011 閲覧。 On this map, Elizabethtown is displayed with a pink background and Radcliff in green. For Central Hardin's location, follow U.S. 62 west of downtown Elizabethtown. For John Hardin High's location, zoom in to the region where the two cities meet.
^ Sister City
^ Harrison in The Kentucky Encyclopedia , pp. 129–130
^ Caple, Jim (2011年9月14日). “Steve Delabar, Alex Liddi, Austin Romine exemplify great MLB stories of September - ESPN ”. Espn.go.com. 2011年9月15日 閲覧。
^ Barefoot, Daniel W. (2005). Let Us Die Like Brave Men: Behind the Dying Words of Confederate Warriors. North Carolina: John F. Blair. ISBN 0-89587-311-7 .
^ “Kentucky Governor John Larue Helm ”. National Governors Association. April 2, 2012 閲覧。
^ “Kentucky Governor Keen Johnson ”. National Governors Association. April 4, 2012 閲覧。
^ http://sports.yahoo.com/golf/pga/players/22
^ “Kelly Rutherford ”. TVGuide.com . December 17, 2015時点のオリジナル よりアーカイブ。May 24, 2015 閲覧。
参考文献
外部リンク