『ウィークエンドショー』とは、1965年4月17日[1]から1966年3月26日まで毎日放送(MBS)で放送されたワイドショー・情報番組である。
歴史
当初は『MBSウィークエンドショー』というタイトルで関西ローカルで放送されていた[2]。この番組は報道色を強く打ち出したため、「ニュースショー」的な内容となっていた[1]。司会者はMBSのアナウンサー4人のグループ制を採っていた[1]。同年11月からは「MBS」の冠を外し、4局ネットで放送されるようになった[2][1]。この際に司会をグループ制からメイン司会者を据える方式に変更し、芥川隆行・永六輔・小島正雄夫妻・三木鮎郎が交代で司会を担当していた[2][1]。一方で、『モーニングショー』司会者の木島則夫に匹敵する司会者の人選も行われていて、その過程でNHKアナウンサーの八木治郎が候補にあがり、交渉の結果八木はNHKを退職した上で1966年1月1日よりメイン司会者となった[3]。
1966年4月に正午の『土曜ショー』との枠交換の形で、『ウィークエンドモーニングショー』に改題された[3]。
司会者
- 1965年4月 - 10月
- 中西安(当時毎日放送アナウンサー)[1]
- 高村昭(当時毎日放送アナウンサー)[1]
- 岡本純江(当時毎日放送アナウンサー)[1]
- 佐伯かをる(毎日放送の前身・新日本放送第1期アナウンサー)[1]
- 1965年11月 - 12月
- 1966年1月 - 3月
ネット局
脚注
- ^ a b c d e f g h i 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、190頁。
- ^ a b c d e f g h 「制作ノートから(101) 毎日放送『すてきな出逢い・いい朝8時』 「番組は人なり」の基本姿勢で / 本多隆朗」『月刊民放』第21巻第2号、日本民間放送連盟、1991年2月1日、31 - 33頁、NDLJP:3471062/16。
- ^ a b 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年』毎日放送、1991年9月1日、190 - 191頁。
- ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、277頁。
NET系列 土曜昼の情報番組(本番組のみ毎日放送制作枠) |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
無し
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MBSウィークエンドショー ↓ ウィークエンドショー (1965年4月17日 - 1966年3月26日)
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土曜ショー(1966年4月2日 - 1969年12月27日)
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NET系列 土曜日12:00 - 12:55枠(本番組のみ毎日放送制作枠) |
ローカルセールス枠 (不明 - 1965年10月) 【局ごとに異なる編成】
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ウィークエンドショー (1965年11月 - 1966年3月26日)
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土曜ショー(1966年4月2日 - 1969年12月27日)
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