1917年、ニューヨーク市ブルックリンで、チェコスロバキアから移住した裕福な東欧系ユダヤ人の家庭の息子として生まれたアイズナーは、デウィット・クリントン高校を卒業した後に、Art Students League of New Yorkに入学し、カナダ人画家ジョージ・ブラント・ブリッジマンの下で一年間学んだ。ここでの勉強をきっかけにして、アイズナーはニューヨーク・アメリカン紙での広告漫画と、Western Sheriffs and Outlaws誌のようなパルプ・マガジンでの挿絵の仕事を獲得した。
1936年に、バットマンの作者として知られる高校時代の友人ボブ・ケインの勧めにより、アイズナーは新雑誌『Wow』に漫画作品を投稿した。編集者ジェリー・アイガーはアイズナーの冒険漫画『Captain Scott Dalton』を採用し、アイズナーは続いて海賊漫画 『The Flame』とスパイ漫画『Harry Karry』を『Wow』に寄稿した。『Wow』が4号で廃刊になった後も、アイガーはアイズナーと共に漫画の売込みを行った。コミックブック・パッケージャーの先駆けとなった二人の協力は成功を収め、アイズナーの作品はフォックス・コミック、フィクション・ハウス、クォリティ・コミック等の各出版社で採用され、1ページあたり1ドル50セントで買い取られた。アイズナーは「私は22歳になる前には大金持ちになっていた」と述べている。
アイズナーは彼の経歴の後期において、ニューヨークのSchool of Visual Artsで講義を行い、その内容を『Comics and Sequential Art(コミックと連続的芸術)』と『Graphic Storytelling and Visual Narrative(絵画による作話技法と視覚による物語)』にまとめた。この二冊の書籍は漫画家志望者に広く愛読されている。