Ambroise Marie François Joseph Palisot, baron de Beauvois.
アンブロワーズ・マリー・フランソワ・ジョセフ・パリゾ、バロン・ド・ボーヴォワ (Ambroise Marie François Joseph Palisot, Baron de Beauvois、1752年 7月21日 - 1820年 1月21日 )は、フランス の博物学者 である。
略歴
ノール=パ・ド・カレー地域圏 のアラス に生まれた。はじめ法律を学び、パリ の議会で働いたが、博物学に転じ、ベルナール・ド・ジュシュー に学び、1781年に科学アカデミーの准会員に任じられた。1786年からアフリカ の学術旅行を行い、西アフリカ のベナン の未踏地を訪れ、多くの昆虫、植物の標本 をパリに送った[ 1] 。1788年にハイチ に渡り、植民地 の高等委員会の委員となり、奴隷制度 の廃止のために働いた。ハイチでの独立運動 による混乱から避難するためにハイチを離れるが、フランス革命 で、フランスの本国でパリソが起訴され、財産は没収されていたので、1793年にアメリカ合衆国 のフィラデルフィア に渡った。この時ハイチで収集した標本は失われた。
アメリカでは生活のために、サーカス の楽団などで働いたが、フランス大使アデット(Pierre Auguste Adet)の尽力で博物学の仕事に戻った。アメリカ中部を旅し、先住民 と数ヶ月暮らした。フィラデルフィア自然史アカデミーのメンバーとなり、調査結果を発表した。
1798年に追放が解除されフランスに戻った。1806年に没したミシェル・アダンソン の後任として科学アカデミーの会員となり、1915年には大学評議会の委員も務めた。
ツユクサ科 の植物の属名、Palisota に献名 されている。
著作
Flore d'Oware et de Benin (1804–1821, deux volumes, 120 planches).
Insectes recueillis en Afrique et en Amérique (1805–1821, 90 planches).
Prodrome des cinquième et sixième familles de l'Æthéogamie, les mousses, les lycopodes (1805).
Essai d'une nouvelle agrostographie (1812).
Muscologie ou traité sur les mousses (1822).
脚注
^ Wigginton, M. J., ed (2004). E.W. Jones's Liverwort and Hornwort Flora of West Africa . Scripta Botanica Belgica. Meise, Belgium: National Botanic Garden. p. 23
参考文献