1965年のアリューシャン地震(アリューシャンじしん)あるいはラット諸島地震(ラットしょとうじしん)は、協定世界時1965年2月4日5時1分(現地時刻2月3日19時1分)、アリューシャン列島のラット諸島近海を震源として発生した地震。
概要
マグニチュード (Mw) は8.7で、シェミア島で10mを超える津波を観測したが[1]、被害は非常に小さかった。
地学的環境
アリューシャン列島は火山島の連なる島弧であり、太平洋プレートが北アメリカプレートの下へ潜り込むことによって生じたものである。このプレート境界、アリューシャン海溝では、これまで多くの巨大地震が発生している。
特徴
地震
余震の分布から、この地震はプレート境界に沿った長さ600kmの断層破壊によるものと考えられている[2]。エネルギー放出の形態は、プレート境界面に沿った3つのアスペリティの存在を示唆しており、それぞれのアスペリティがエネルギーを放出している。津波モデルも、上側のプレート内部の3つの構造的「ブロック」と関連付けると、この地震が3回のサブイベントから成るという説を補強する[3](連動型地震)。
本震から2か月近く後に、マグニチュード7.6の地震が発生し、小規模な津波を発生させた[4]。これは余震ではなく、沈み込むプレート内(アウターライズ)内で発生した正断層型の地震で、本震より前に発生した地震に誘発されたものである[5]。
津波
津波の最大遡上高は、シェミア島で10.7m、アムチトカ島で2.0m、アッツ島で1.6m、ハワイのカウアイ島北部で1.1m。ペルー、エクアドル、メキシコ、カリフォルニア、日本、ロシア東部でも津波が観測された[4]。
被害
津波はアムチトカ島に1万ドル相当の被害をもたらした[1]。アッツ島とシェミア島では被害はより小さく、地震により道に亀裂が走った程度だった[要出典]。
脚注
関連項目