アナキズムのシンボル として一般に知られているものは黒旗 とサークルA である。アナキストは伝統的に政治活動におけるシンボル の重要性に否定的だが、それでもこの2つは彼らの思想の象徴として広く採用されている[ 1] 。反グローバリゼーション の高まりにともなった21世紀 初頭からのアナキズムの復興により、その文化的なシンボルは広まりを見せている[ 2] 。特にサークルAのシンボルはヨーロッパなどでよく街の建築物などに落書きとして描かれている。
黒旗はアナキズムの象徴の中でもとりわけ伝統的なものである。
黒旗
黒旗や黒色 は、1880年代 から広くアナキズム と関連付けられるようになった。多くのアナキストのグループが"black "という単語をその名に冠し、「黒旗」と題するアナキズム系雑誌も多数出版されてきた。黒旗は、その濃淡のなさにおいて各国の国旗 の色鮮やかさとは対照的であり、さらに強者に対する服従の普遍的なシンボルである白旗 に対しても、必然的に服従の拒否と抵抗を表すアンチテーゼとなっている。
起源
黒旗は「旗が存在しない」ことの象徴であり、国民国家 の概念そのものに対する反対も表している。この観点に立てば、黒旗はいずれかの個人や組織が個々人を適切に分類できるという考えを拒絶していると見なすこともできる。
現代のアナキズムは、他のイデオロギー の中でもとりわけ赤旗 と強く関連する社会主義 と、起源において共通するところが多い。アナキズムが黒旗を採用するようになったのは、社会主義との対立が激しくなった1880年代に、自身とそれを区別するためである[ 1] 。その時代には、ピョートル・クロポトキン のように、新たに黒旗を採用するよりは赤旗を使い続けることを好むアナキストもいた[ 3] 。
黒旗と赤旗はそもそも、17世紀 にカリブ海 (西インド諸島 )で活動したバッカニア (当時の同地域の海賊 の総称)が用いたもので良いイメージは無かった。カリブの海賊 らが掲げた黒旗(ジョリー・ロジャー )は「降伏すれば船員の命は奪わない」との意味合いで海賊船のマストに掲げられていた。しかし船員が抵抗した場合には赤旗が掲げられ、海賊たちは容赦ない攻撃を加えたという。
後年の用法
フランス革命 期には、赤旗は8月10日事件 や九月虐殺 、そして一連の恐怖政治 の期間に暴力的なパリ・コミューン を指揮していたジャコバン派 によって使用されていた。
対する黒旗は1831年 に最初の織工反乱 (フランス語版 ) の際、抗議の象徴としてリヨン で掲げられ、1840年代 の飢餓 暴動 においても都市部の貧困 層の絶望の象徴として翻った。これが後の1880年代にアナキズムに関連付けられるようになった。1882年 まで存在したフランスのアナキズム系新聞"Le Drapeau Noir "(「黒旗」の意)は、黒色をアナキズムの象徴として使用した最初の公開文献の一つであ
る。1881年 7月には、ロンドン でブラック・インターナショナルというアナキズム組織が設立されている。
1883年 3月9日 のパリ の失業者デモでは、1871年のパリ・コミューン のメンバーであったルイーズ・ミシェル が黒旗を掲げた。失業者 による野外会議が警察に中止させられ、およそ500人のデモ隊がミシェルを先頭にして黒旗を振り、「パンを、仕事を、さもなくば指揮権を!」と叫びながらサンジェルマン大通り へと行進させられていたとき、暴徒化したデモ隊が3軒のパン 屋から略奪し警察 に攻撃された。ミシェルは略奪を煽動したとして逮捕 され禁錮 6か月を宣告されたが、世論の圧力によってほどなく恩赦となった[ 4] 。ミシェルによると、「黒旗はストライキの旗であり、飢えた人々の旗である」[ 5] という。
黒旗はほどなくしてアメリカ へ伝わり、1884年 11月27日 のシカゴ でのアナキストのデモで掲げられた[ 6] 。現地のアナキズム系新聞は、それを「飢餓、悲惨、そして死の恐るべき象徴」であるとした[ 7] 。1917年 のロシア革命 では、ネストル・マフノ 率いるアナキスト勢力は黒軍 と総称された。彼らは赤軍 によって殲滅されるまでは黒旗のもとでいくらかの勝利を収めた。メキシコ革命 の指導者であるエミリアーノ・サパタ は、髑髏と骨 と聖母マリア をあしらった黒旗を使用しており、旗のスローガン は「土地と自由」("Tierra y Libertad ")だった。1925年 には日本 のアナキストたちが黒色青年連盟 を結成し、日本統治下の台湾 にも支部が作られた。1945年 に彼らは機関誌の名を「黒旗」とした。
さらに近年では、1968年 のパリ五月革命 において大学生たちが黒旗と赤旗を掲げた。同年にアメリカでも民主社会学生同盟 (英語版 ) の全国大会で、これらの旗が掲げられている。また、ほぼ同時期にイギリス で「ブラック・フラッグ」紙(en )が創刊され現在に至る。
上から順に、アナルコ・サンディカリスム 無政府資本主義 グリーンアナキズム 無政府フェミニズム (英語版 ) クィア・アナキズム (英語版 ) 平和主義アナキズム のシンボルである2色の旗と星
バリエーション
赤黒旗
赤と黒の2色旗(it )はアナルコ・サンディカリスム と無政府共産主義 のシンボルである。組合活動を重視するアナルコ・サンディカリスムの原則は、他の反資本主義 的アナキズム運動よりもはるかに、アナキズムと社会主義の双方と関連が強い。そのため、彼らの旗にはアナキズムの黒と社会主義の赤 が組み合わされている。史上最初に赤黒旗が掲げられたのは1831年、リヨンの織工反乱でのことであり、続いてイタリア 、スペイン 、メキシコ でもアナキズムの旗印となった。現代の形で赤黒旗が掲げられたのは、20世紀 初頭のスペインとフランスでのことである。
緑黒旗
この旗は赤黒旗から分化したものであり、社会環境主義 (英語版 ) 、グリーンアナキズム 、無政府自然主義 の運動において使用されている。緑黒旗は人間だけでなく森林、動物、生物圏 などの自然環境 も保護の対象とするアナキズムを象徴しているため、自然 を表す緑色 を使用している。
紫黒旗
紫黒旗も赤黒旗の変種だが、こちらは無政府フェミニズム (英語版 ) のシンボルである。これは性差別 や家父長制 への抵抗を意味している。
黄黒旗
同じく赤黒旗の一形態である黄黒旗は、個人と生産手段に於ける私有財産制 を至上とする無政府資本主義 のシンボルである。
その他にも、LGBT の解放を目指すクィア・アナキズム (英語版 ) のシンボルである桃黒旗 や、平和主義アナキズム のシンボルである白黒旗 など、黒旗には様々なバリエーションが存在する。
サークルA
第一インターナショナルのスペイン大会において最初に使用されたサークルA
大文字の「A 」を大文字の「O 」で囲んだモノグラム であるサークルAは、今日において恐らく最も有名なアナキズムのシンボルである。「A」はほとんどのヨーロッパ言語で「無秩序」(anarchy )、「アナキズム」(anarchism )の頭文字であり、ラテン文字 においてもキリル文字 においても同じ形をしている。「O」は「秩序」(order )を意味し、この2つの組み合わせはピエール・ジョゼフ・プルードン の言葉の冒頭の、「無秩序こそ秩序の母である」("Anarchy is the mother of Order, ")を表している[ 8] 。この記号はUnicode では U+24B6 に割り当てられている。また、コンピュータ上での簡略表現としては「@ 」や「(A)」などが存在する。
アナキストによる使用の歴史
記録に残っている限りでサークルAがアナキストによって最初に使用されたのは、1868年 にジュゼッペ・ファネッリ (英語版 ) が設立した第一インターナショナル のスペイン大会でのことである[ 9] 。サークルAがアナキズムのシンボルとされたのは他の勢力の使用よりも後のことで、ジョージ・ウッドコック (英語版 ) によれば古いアナキストはサークルAを使用しなかったという。
ゲルダ・タロー がスペイン内戦 時に撮影した写真の中には、ヘルメットにチョークでサークルAを描いた民兵 のものがある。その民兵の所属は明らかでないが、アナキストであろうと推測されている。
サークルAを紙上で使用したのは1964年 、フランスの小グループ「自由青年」("Jeunesse Libertaire ")が最初であり、イタリアではミラノ の青年団体「サッコ・ヴァンゼッティ 会」("Circolo Sacco e Vanzetti ")がサークルAを使用して1968年 にそれをイタリア全土へ普及させた。以来、サークルAは世界中で急速に普及していった[ 10] 。
アナーコ・パンクにおける洗練されたサークルA
サークルAとポップ・カルチャー
上記のように、サークルAは1970年代 後半からのパンク・ロック ブームの一翼を担ったアナーコ・パンク (英語版 ) の流行よりもはるかに長い歴史を持っている。とはいえ、アナーコ・パンクの隆盛が、非アナキストの間にもサークルAの存在を知らしめることになったのも確かである。この潮流は、フランスを旅行中のクラス のメンバーがアナキストのイメージを使うことを思いついたことから始まった[ 11] 。やがて、「アナーキー」は「反抗」の曖昧な同義語として、一般的なパンク のイメージに組み込まれていった。年月の経過にともなってメインカルチャーに受け入れられたパンクは、その政治的なルーツとはかけ離れたものになり、その外観は扇情的な販売戦略のために一層ありふれた社会不安と結び付けられるようになった。
その他のシンボル
上記の代表的なシンボルの他にも、特定のアナキズム団体ではその他様々なシンボルを使用している。
IWWなどのアナルコ・サンディカリスム勢力のシンボル、黒猫
黒猫
背中を曲げ、爪と牙をむき出しにした黒猫 (あるいは野良猫 、サボり猫("sabot-cat ")とも呼ばれる)は、とりわけアナルコ・サンディカリスム と関連が強い。このシンボルは、世界産業労働組合 (IWW)の著名な運動家ラルフ・チャップリン (英語版 ) によってデザインされた。その攻撃的な姿の示す通り、黒猫はストライキ 、サボタージュ などの戦闘的組合活動の提起を狙いとしている。
このシンボルの起源は不明だが、一説によればIWWのとある不調なストライキに由来するという。そのストでは参加者から負傷者や入院者も出ていたが、その時、スト参加者たちのキャンプに一匹の痩せた黒猫が迷い込んできたという。やがてその猫が健康を取り戻すと同時にストの状況も好転し、最終的に労働者側は要求のいくつかを達成することができた。こうして、その黒猫は彼らのマスコットとなったという[ 12] 。
現在まで「黒猫」という名は数多くのアナキズム系の団体や協同組合 によって使用されてきた。その中には、2007年 7月6日 の火事で閉鎖されたテキサス州 オースティン の著名な音楽会場や、ワシントン州 シアトル のユニバーシティ・ディストリクト (英語版 ) にあった今はなき「集団食堂」(collective kitchen )も含まれる。
アナキスト黒十字のシンボル
黒十字
「アナキスト黒十字 (英語版 ) 」という組織は、すべての刑務所 を廃止することを目標に掲げている。その起源は帝政ロシア での政治犯 への支援活動まで遡ることができる。アナキスト黒十字のシンボルは縦棒を突き上げる拳 (英語版 ) に置き換えた黒十字であり、これは権力への抵抗や個人権の拡大(その内容は、黒人運動、青年運動、女性解放 、アメリカインディアン運動 、国際社会主義機構(en )、「パワー・トゥ・ザ・ピープル 」など多岐にわたる)などとの関係も表している。また、握り拳には「指の一本一本は弱くとも、それらが集まることで強い拳を形作ることができる」という意味もある。
黒薔薇
黒薔薇(en )は、ごくまれにアナキズムの象徴とされる。
「ブラックローズ・ブックス」("Black Rose Books ")という名の業者は、モントリオール に著名なアナキズム系書店が、オレゴン州 ポートランド にアナキズム系インフォショップ (英語版 ) が存在する。カナダのアナキズム系哲学者 であるディミトリオス・ルソポロス(en )は同名の小さなインプリント の代表を務めている[ 13] 。
また、「ブラックローズ」は1970年代 にボストン 一帯で発行されていた権威あるアナキズム系雑誌のタイトルであり、1990年代 にマレイ・ブクチン (英語版 ) やノーム・チョムスキー などの名高いアナキスト、自由社会主義者 (英語版 ) らによって行われた講義集のタイトルでもある[ 14] [ 15] 。
ジョリー・ロジャー
海賊エドワード・イングランド が使用したジョリー・ロジャー
黒旗に髑髏と骨 をあしらったジョリー・ロジャー は、近年のアナキストによって好んで使用されている。
一部では、海賊 の自由で反権力的な生き様を評価して使用されることもある。多くの海賊船では緩やかな民主主義 が採用されており、ほとんどの船員は、彼らが生まれ育った極めて抑圧的な労働階級 社会からの逃亡者であった。また、アナキストには海賊の楽園(en )、とりわけ伝説の島リバティシア といった考えへの親和性が見られる。彼らはリバティシアの海賊をアナキズムの先駆者と見なしている[ 16] 。
アナキズムと海賊盤 の関わりについての記事のいくつかは、Libcom.org(en )のライブラリから見ることができる[ 17] 。アナキズム系ハックティビスト (政治的ハッカー )や情報アナキスト (英語版 ) (知的財産権 や著作権 、および検閲 などへの反対者)の中には、自分たちの技術面での自由なライフスタイルと、著作権や特許権 を侵害することによる知的財産権への抵抗活動から、海賊を自称する者もいる。
サボ
サボ
サボ (フランス語版 ) は、19世紀 から20世紀 初頭にかけてアナキストの間で象徴的に使用されてきた。しかし、今やその存在感は急激に薄らいでいる。「サボ」は木靴 を意味するフランス語 であり、産業革命 初期にオランダ人の組合員がそれを機械の内部に投げ込むことによって作業を停止させたことから「サボタージュ」の語源となったとされている。だが、その真実性は疑わしい。
このフランスでの靴投げ戦術に相当するものとして、アメリカにはモンキーレンチ を機械の内部に投げ入れてスト破り を阻止するというものが存在する。
ペンシルベニア州 フィラデルフィア にある「木靴」("The Wooden Shoe ")というアナルコ・サンディカリスム 系書店には、2001年 から2003年 まで「サボ」と呼ばれるデンマークのアナキズム系雑誌が置かれていた。そこには、上の画像と同じサボの画像をロゴに使用した「サボ・プロダクション」("Sabot Productions ")[ 18] というパンク・ロック 系列のアメリカのレコードレーベル も存在する。
ちなみにドイツ農民戦争 時にも当時の農民が履いていた典型的な革靴 が描かれた旗が掲げられているが、この反乱を初期のアナキズム的なものとみる向きもある。
スコッター・サイン
スコッター・サイン
スコッター・サインは世界中のスコッター によって使用されている。しばしば彼らが占拠中の建物の壁面に、時に落書き として描かれる。また、ポスターやチラシのグラフィックデザイン としても使用される。
脚注
^ a b (英語) Iain Mckay, ed (2008). “Appendix – The Symbols of Anarchy” . An Anarchist FAQ . Stirling: AK Press. ISBN 1-902593-90-1 . OCLC 182529204 . http://anarchism.pageabode.com/afaq/append2.html
^ (英語) Williams, Leonard (September 2007). “Anarchism Revived”. New Political Science 29 (3): 297–312. doi :10.1080/07393140701510160 .
^ (英語) Kropotkin, Peter, "Act for Yourselves", p. 128
^ (英語) George Woodcock, Anarchism, pp. 251–2
^ (英語) The Red Virgin: Memoirs of Louise Michel, p. 168
^ (英語) Paul Avrich, The Haymarket Tragedy, p. 145
^ (英語) quoted by Paul Avrich, The Haymarket Tragedy, p. 144
^ (英語) Marshall, Peter. Demanding the Impossible . Fontana, London. 1993. p. 558
^ (スペイン語) 'La Masonería y el movimento obrero' Archived 2006年7月13日, at the Wayback Machine . by Alberto Valín Fernández.
^ (英語) Woodcock, George. Anarchism: A History Of Libertarian Ideas And Movements . Another sited use of the Circle A symbol was the graffiti of the Berlin Wall with it on numerous occasions. Broadview Press. 2004. p.8
^ (英語) Appleford, Steve (2005年6月10日). “The Only Way to Be – Anarchy! ”. LA CityBeat . Los Angeles, California: Southland Publishing. 2005年12月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年8月30日 閲覧。
^ (英語) What's this with a black cat & a wooden shoe? What do they have to do with anarchy?
^ (英語) Black Rose Books official website. Blackrosebooks.net Accessed August 30, 2007
^ (英語) Epstein, Barbara (1993). Political Protest and Cultural Revolution: Nonviolent Direct Action in the 1970s and 1980s . Berkeley: University of California Press. p. 69. ISBN 978-0-520-08433-9 . https://books.google.co.jp/books?id=vYW67obBjSEC&pg=PA69&dq=black+rose+lecture+series&hl=en&sa=X&ei=2MnYUOX-AYr1qQGZ0IDoCA&redir_esc=y#v=onepage&q=black%20rose%20lecture%20series&f=false
^ (英語) Social Anarchism, Issues 5–10 . Atlantic Center for Research and Education. (1983). https://books.google.co.jp/books?id=Feo9AQAAIAAJ&q=black+rose+lecture+series&dq=black+rose+lecture+series&hl=en&sa=X&ei=2MnYUOX-AYr1qQGZ0IDoCA&redir_esc=y
^ (英語) Rediker, Marcus (2004), Villains of All Nations: Atlantic Pirates in the Golden Age , Beacon Press, Beacon, Massachusetts. ISBN 0-8070-5024-5
^ (英語) libcom library
^ (英語) Sabot Productions' Website
関連項目
外部リンク