アエルマッキ (Aermacchi) は、かつて存在したイタリアの航空機メーカー。第二次世界大戦後はオートバイも生産した。
2003年7月にアエルマッキはフィンメッカニカグループに買収された。その後アレーニア・アエロナウティカと統合され、アレーニア・アエルマッキとなった。
歴史
1912年にロンバルディア州北西部のヴァレーゼでジュリオ・マッキ(英語版)により設立された「ニューポール=マッキ株式会社」(Societa Anonima Nieuport-Macchi )に始まる。当初は第一次世界大戦時の有名なフランスの戦闘機ニューポール・タイプ11ベベのようなニューポール製航空機のライセンス生産を主に行ったが、鹵獲したオーストリア=ハンガリー軍のローナー L飛行艇をマッキL.1(イタリア語版)の名でコピー生産したのを皮切りに、ヴァレーゼ湖(イタリア語版)畔の工場で飛行艇・水上機の事業に乗り出した。
終戦と共に軍からの受注が減少した結果、会社は水上機の生産に特化し、初期は軍用機からの転換を行い、例えば旅客輸送や郵便のような民間用途の航空機を生産した。スピードレース時代(イタリアでは1919年から)、マッキの航空機は最高速において400、500の壁を越え最終的に700km/hに達した。
1920年代には社名を「アエロナウティカ・マッキ」(Aeronautica Macchi )とした。
第二次世界大戦の間は有名な戦闘機M.C.200、M.C.202、M.C.205を生産した。
2003年、アエルマッキはフィンメッカニカグループに属する事となった。
2012年、同じフィンメッカニカ傘下の航空機メーカーであるアレーニア・アエロナウティカと合併し、「アレーニア・アエルマッキ」となった。
生産機種
第一次世界大戦
戦間期
第二次世界大戦
戦後
自動二輪
アエルマッキは第二次世界大戦後、平和産業への転換を図り三輪トラックとオートバイの製造を開始した。第二次世界大戦中ベネリで航空機エンジンの製造をしていたリノ・トンティ(Lino Tonti )が1956年まで開発を担当した。1956年からはアルフレッド・ビアンキ(Alfred Bianchi )が開発を担当することとなる。
1960年にアメリカのハーレーダビッドソンがアエルマッキのオートバイ部門の50%を買収した。その後残りの50%も1974年にAMF-ハーレーダビッドソンに売却され、完全子会社となったが、生産はヴァレーゼで継続された。その後1978年にカジバに買収されそのオートバイ部門の母体となった。また1997年からは、同ヴァレーゼ湖畔の工場にて新生アグスタのオートバイを製造している。
主な車種
航空機メーカーの製品らしく「アラ」(Ala 、イタリア語で「翼」の意)など空に関連する車種名が使用されている。
- キメラ175(Chimera 175 )
- キメラ250(Chimera 250 ) - OHV水平単気筒。
- アラ・ヴェルデ175(Ala Verde 175 ) - 「緑の翼」の意。
- アラ・ヴェルデ250(Ala Verde 250 )
- アラ・ブリュ(Ala Blu ) - 「青い翼」の意。
- アラ・ロッサ(Ala Rossa ) - 「赤い翼」の意。
- アラ・ビアンカ(Ala Bianca ) - 「白い翼」の意。
- アラ・ドーロ250(Ala d'Oro 250 ) - 「金の翼」の意。250ccOHV単気筒。
- アラ・ドーロ250S(Ala d'Oro 250S ) - OHV単気筒の市販レーサー。
関連項目
外部リンク
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